![](https://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/013dd5ac.3b80057b.039dd0bd.2b7b51f1/?me_id=1213310&item_id=18319195&m=https%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fbook%2Fcabinet%2F0176%2F4910248530176.jpg%3F_ex%3D80x80&pc=https%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fbook%2Fcabinet%2F0176%2F4910248530176.jpg%3F_ex%3D400x400&s=400x400&t=pict)
朝日新聞出版、マンガ日本史「東条英機」。
先日、安倍首相が、アメリカのオバマ大統領と共に日米開戦の発端地となったハワイの真珠湾を訪問したばかりです。
日本軍の真珠湾への奇襲攻撃、
それによって始まった太平洋戦争。
その時に首相として日米開戦をさせたのが東条英機でした。
東条英機は、1887(明治17)年、東京の千代田区で生まれます。
東条家は、祖父の代まで、宝生流ワキ方の能楽師で、盛岡藩に仕えていたそうです。
父は、厳格な陸軍軍人で、
東条英機は、そんな祖父と父のもとで、
私欲を捨て、天皇陛下に忠誠を誓い、国のために尽くす理想の少年になるべく育てられました。
陸軍幼年学校から、陸軍大学校まで、エリート軍人の道を歩んでゆきます。
東京・麻布の陸軍歩兵第一連隊に赴任。
1931(昭和6)年、満州事変が勃発。
日本が満州での支配を強めるに従い、
中国との関係が悪化し、日中戦争に突入、
中国を支援するアメリカから経済制裁を受け、石油などの資源の輸出を停止されてしまいます。
そんな中、近衛文麿首相率いる内閣に陸軍大臣として入閣。
そして、1941(昭和16)年10月、天皇陛下の命を受けて、首相に就任。
天皇陛下は、東条英機であれば、日米開戦を阻止できるとのお考えなのでした。
ですが、時代、一度開戦に傾いた世論が許しませんでした。
また、アメリカは、日本と逆で反戦の世論が高まっていたため、
"日本の攻撃に対する報復"の形が必要で、日本の先制攻撃が必要だったようです。
そして、1941(昭和16)年12月8日、ハワイの真珠湾攻撃。
当初の戦況は華々しかった日本軍でしたが、次第に暗転。
そして広島、長崎への原爆投下を受け、敗戦。
終戦後の東京裁判。
東条英機は、A級戦争犯罪人の裁きを受け、
1948(昭和23)年12月23日、絞首刑で亡くなります。
陸軍歩兵第一連隊連隊長の頃は、
部下の氏名、家庭環境まですべて暗記し、 親から預かった子どもをけがや病気でかえすわけにはいかないと、
食事、健康、精神状態にまで細やかに気にかけていたそうです。
首相になってからは、
町を視察して、
ゴミ箱を覗いたり、洗濯物を見たり~、
国民に食料や衣料品がゆきわっているかどうか調べていたそうです。
戦争は、時代の流れで止む終えないことも…。
誰かに責任を取らせることが必要だったのかな。
![](https://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/10c06170.c049da16.10c06171.55470bde/?me_id=1278256&item_id=13094908&m=https%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Frakutenkobo-ebooks%2Fcabinet%2F4036%2F2000001744036.jpg%3F_ex%3D80x80&pc=https%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Frakutenkobo-ebooks%2Fcabinet%2F4036%2F2000001744036.jpg%3F_ex%3D400x400&s=400x400&t=pict)