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外来や入院診療をやっているといろんな患者さんにお目にかかることになる。最近では患者さんの権利意識がずいぶん台頭してきて、ご希望に添えないような場合は「じゃぁ、他をあたります」なんていわれてしまうこともあるらしい。
確かに、今僕が勤めている病院は「患者さんへのサービス」をスローガンに掲げているくらいだから「患者様は神様」なのだろう。お金を落としていってくれる客、という点でとらえてみれば確かにそうだ。だから病院側も「患者さんの意見を重視して希望に添えるような医療を」なんていってくる。しかし、現実にはなかなかそうはいかない。こちらとてプロの端くれなのだから診断が客観的に下されればそれに沿った内容で治療を勧めることになる。簡単な例を挙げれば風邪なんかがそうだ。2~3日前から感冒様症状で受診した患者さんが来たとしよう。 ざっとみて……元気そうだな(笑)。発熱は……37.5度か。頚部リンパ節は……腫大なし、と。聴診は……心音呼吸音ともに異常なし。咽頭発赤……殆どなさそうだ。まぁ、一過性の感冒として診断しようか。 こんな感冒は軽い抗炎症剤くらいで十分かな、抗生剤は不要だろう。暖かくして水分をとって十分な休息をとれば3~4日もあれば元気になるよ、と思われる。しかし患者さんにしてみると「早く治してほしい」「点滴を打たなくてもいいのか」「胸部写真は撮らなくてもいいのか」「心電図は必要ないのか」「インフルエンザの検査をしなくてもいいのか」等々、数え上げればきりがないほど要求されていることがしばしばある。どうやら、青二才の医者が行っている理学的所見は信用ならないらしい。ましてや診断や治療となるともっとそうらしい。だからこんなにも検査や点滴だ、といわれてしまうのだろうか。 先に挙げた病院のスローガンに沿って渋々検査や点滴のオーダーを出してはみるものの釈然としない不快さが残る。こういった患者さんたちはいずれ良くなるのだろうが、別に検査や点滴が無くても元気になるわけで、元気になったのは検査や点滴のおかげではない、ということに気づかない。 しかしそこでも「検査をしなかったから誤診だ」などと付け入る隙はいっぱいある。なんでも訴え放題のわがまま患者さんが今後ますます増大していくだろう。医療はサービスであることには違いない。しかし単に安くすればいい、質を上げればいい、客の要求を聞き入れればいい、というモノではない。医療者側、患者側にも痛み分けが要求される不思議なサービス業なのだ。医療を単なる経済の道具としてとらえてしまっているようではこうした権利主義はどんどんその数を増すだろう。そしてそれに抗するかのように医療情勢もますます厳しくなっていくだろう。単純な紐解きはできないが、患者さんがダメにしてしまう医療があっても不思議ではないのだから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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