何たって鉄塔~。
満員電車の中に出くわすと、自分のことも含めて「人は、クソだ」と思ってしまう。実は、満員電車を我慢している他の人もそう思っているかも知れない。しかし、私は、敢えて誉めたい。「人は。カラフルなクソだ」と。満員電車などで、パワーを搾り取られたくない。きっと乗っている誰もがそう思っている。目的地に着いたらヘトヘト状態だ。行って、帰ってという工程を楽しめないのは悲しい。
なんたって一文字~。
交通の発達によって我々人類は歴史上、不思議な経験をしている。かつては戦争の遠征などで生活を面で地理を捉えていたというのに、今は、我々一般人でさえ、点から点で捉えている。私は、名古屋よりバンコクのほうが詳しい、札幌よりアムステルダムの方が詳しいといった現象を起こしている。それどころか、通勤という日常でさえも、身体の大きさから比べ、異常に行動範囲が広い。20キロ先にある勤務地だってたとえ身長が2メートルあっても、毎日1万倍の距離を移動している。1万キロ先のヨーロッパに、気がつけば行ってしまっているという状況にある。そういう意味では(どういう意味じゃ?)、家から出かけるという感覚が昔の人と大きく変わってきているのかも知れない。見送る人も。
おまけに、最近は物騒といっても、外界が格段に生命維持観点から安全になっている。我々は、外に出て行く決断と勇気その他もろもろの心がけを極限にまで必要ではなくなってきている。これは画期的に素晴らしいことであり、退屈なことである。今や、遠くに行くのは、ただ身体が運ばれるということに過ぎない。
なんたってホウキ~。
(窓に映った風景はチクワだ。弛緩している。素っ気無い。音は割れる、グググ、或いはギギギ。本文と関係なし、ただのタワケ)
それにしても、食糧は、交通の発達のせいで、郊外が高くなっている。都会に一度、肉や魚、野菜が集められ、そこから配達されるため、中途半端な郊外が一番高くなる。
フランスパンを包装せずに裸のまま、ワインの瓶をそのまま持って帰るというのは、家が近いから。明日仕事でも23時から始まる映画を見に行けるのは家が近いから。夜中の2時に一杯飲みたくなって、バーに行けるのも家が近いから。
ラララー