ややもすると、昨晩も、勢いよく飲みに出かけたのであるが、そのうちのかつて一緒に仕事をしていた人が、人事に移り、4人応募のところに120人の応募がありてんてこ舞いであったとのこと。そして、採用した4人のうち一人がいきなり初日から失踪。そこまで勝ち抜いても、まだ仕事やめちゃうか。集まってくる人数には、不況を感じるが、コンプラとか何とかで年齢性別を限定してはいけないらしく、定年間近の人が来たり、オメエ大丈夫かというおかしな人が来たりなんかして、ああ、優秀な人は、企業側が募集かける前にひっぱるのかなあ、という感じもするのであった。
しかし、やっと採用した人がすぐ辞めるって、自分に合ってないと思うのだろうか。自分らしく、というのは、自分らしさを大切にすると公言するやつほど、自分らしさがなく、低所得者に陥りやすいのであろう。自分の好きなことが仕事にできるという人は、よっぽど幸せかラッキーな人であり、普通は、仕事に自分を慣れさせたり、自分からすすりよっていくものなんじゃねえか。個性を大切にしようといちいちいう人、個性を伸ばそうといちいち言う人、おかしいのである。まずは、教えるべきことは協調性なんである。規則であり、決まりであり、社会性その方法である。個性は、いわなくても、勝手に育つし形成されるんだ。
そうやって、白ワイン、赤ワインとじゃんじゃんボトルを開け、予定通り、醜くくだを巻き、家路に向かうが、普通電車の中で、立ったまま気を失い、自分の降りる駅で目が偶然覚めた。お、おれ、脚カックンならんかったんやと少し感心した次第であった。しかし、普通電車っていう普通という言い方、関東にはないんだよねえ。
翌朝、年齢を重ねてよくあることなんだが、寒くてかぜをひいたのか、二日酔いか、そのミックスなのか分からない状態であった。なかなか体がボロっちいくなってきたという実感の瞬間でもあった。
それにしても、先日、高校の同級生と飲みに行ったとき、おまえアルマーニのシャツ着ているのかいな、といわれ、勿論バンコクで買ったパチモンである、と宣言したら、あれやなあ、年齢もそれ相当になっちまうと、パチモンでもホンマモンに見えるもんやなあ、と感心しているだけでなく、役職や立場がその人をつくるのと同じである、ん、何が同じだ。
先日若手の注目劇作家の
柴幸男の芝居を見てきた。
劇作界の芥川賞を受けてからもう関東ではチケットも取れなくなってきているとのことである。
まあ、そんな感じで、近くの家電ショップに出かけ、無料マッサージ機を受けてきました。