●会館の親族控え室で、ひたすらマッサージ機に横たわり、マッサージを機械に施術される私であるが、告別式まであと2時間、そろそろ人は集まってくる、といっても、私は親戚でさえ、誰がどの方だか既に分からぬ状態であり、従兄弟の子供たちも初めて見るような気がしたが、気がしただけで本当に初めてであり、もう中学生というのに、やはり10年以上正月にも田舎に近づかないと浦島太郎というか、あら?今気がついたが、ガキどもにお年玉あげたことないぞ。そら向こうも覚えてないてか、知らない怖い寡黙なオッサン現るであり、傍若無人のガキ共も、オレには恐れをなして誰も近寄ってこない。
もとより、従兄弟らはガキに、トラベラーみたいなことを吹聴しているみたいだが、そんな職業内って。
考えたら、オカンの妹に会うのも10年前におじいちゃんが亡くなって以来である。久しぶりやナア、といわれ、相変わらず、昨日まで会ったように、オカンの弟だけは、面白そうに話しかけてくる。オマエ、数珠の持ち方間違っているぞ、他で恥かくぞ、お、ほんまや、間違ってるやん、自分で今更ながら気がつき、力なく笑い、星月菩提樹の話となる。インドで見るのは、金剛菩提樹である。あと白いのが天竺菩提樹、さすが、仏壇屋一族である。まあ、おれは亜流も亜流、一切その仕事にタッチしたことはないが、というか、18歳インドに行って初めて菩提樹というのを知ったというか、ボダイジュとカタカナで知ったぐらいだ。
といいながら、おれの持っている数珠は、まるで女性用、瑪瑙とか翡翠とかシロサンゴみたいな仲間の一種か、アイアンタイガーって・・・。石は数珠を切ってしまうからな。オカンの弟は警告してくれながらも、それ、いいな、とチョトダケ羨ましがっていたのが、可愛らしい。
(ネットで調べるとオーストラリア産の石らしい。仏教関係ないじゃん)
11時告別式は始まる。99歳であるから、とっくに現役引退であるが、通夜には200人弱、告別式には50人ぐらいが参列している。ここは、おじちゃんと同じところだったのかな、と思い始めるも、やっぱ違う気もしながら告別式は終了し、お棺を運ぶ一員となる。参加する親族の葬式は常に一員となる。でも6人で運ぶと、軽すぎて、これでいいのかなと毎回思う。
葬儀場は5分で到着し、骨上げは2時間弱である。最後におばあちゃんに挨拶する。99歳、大往生だよね。皆、もう会えない哀しみを持ちつつ、何ていったらいいんだろう、長生きできてよかったね、なのか、ボケなくてよかったね、なのか、複雑な感情もあるんだねえ。
最後のおばあちゃん、おじいちゃんとほぼ同じ顔だった。
2時間弱の間に親族は、会館に戻り、食事があり、割と豪華な食事(豪華とは細かいのがイーパイあるてことね)があり、割とワイワイいいながら食べていたが、私は誰も知らないので無言で食す。オカンが出てきて、ビールを一人なんとなく飲んで、あんた今日運転か?あそう、ジャ駄目ね、と意味なく中便空けた。
各自車で焼き場へ向かい、骨上げに立ち会う。さすがに99歳、焼きあがりも一般よりちょと早く、ウーン、いつもより骨なかったかな、どうかな、というところ、何度か昔、隣の骨上げ見て、若く死んだ人のは頭蓋骨が丸く残っていたり、あれは多分子供が死んだのであろうか、名前を呼びながら泣きながら父母が骨に走って行くシーンも見た。そういうシーンを見ると、こちらは、かわいそうに、若かったんだろうね、など呟く。こちらも寂しいがこちらは、規則的な死の順番だから。
骨を潰しながら、足から順番に解説されながら、ちょとづつ骨を壷に入れて行く。順番も順番がなくなり、何度か骨を入れる。
それが布に包まれ、終了である。
次はお寺に行く。お寺さんはさすがに仏壇屋だけあるのか故意にしているところというか、この漆塗りから再演箱まで当社作成のものであった。10年前におじいちゃんが亡くなった時はインドの話をされたが、今回は、彼岸だったので彼岸の話をされた。仏教では、死の向こうを渡って到達するアッチの世界悟りの世界を彼岸といい、その反対側の現世の迷いや煩悩に満ちた世界を此岸(しがん)という。そして、パーラミータという言葉をお話された。アッチに至る過程というか道というかそんな言葉であった。
そのあと、皆さんで、本が配られ、大谷派の勤行集を10数分に渡って読み合わせる。
こんな感じで、割と皆適当に共有していくのだが、こういうのは、トリップの世界だよね。
今日は急遽会社を休んだのでアるが、1時間ぐらいいろいろ早く終り、もう親戚一同集結もいいだろうということで、実家に戻ったのが5時か6時であった。
なんだか昨日イギリスから来たから割とジェットラグ。ネット配信でブリュセルの空港や地下鉄がえらいことに。ワシントンDCに行くときに利用したよ。
それで、まあ、最後バン飯でも食べるかと、回転寿司に行った訳。
ほんま、オオトロ100円セールって、何回食べよるんじゃい!(オレは3回)オカンと妹は死ぬほど回。
それでクリスマスプレゼントとか誕生日プレゼントとか(妹の子供の誕生日、東北大震災の日)とか妹に詰められて、妹、ほんまアカン奴やなと思いながらトイザラスに行って何だかどんなけ買うねん、みたいな感じとなって、俺帰るわと全部金払って帰るわ。でも5歳だから微かな記憶残るのかも知れないなと幽かに思う私であった。
5歳の子供、今日何があったか分かってんだか・・・おばあちゃんがいなかったら、あなたはいなかったのだよ。まあ、いいけど。まあいいけど、分かってないよねえ、分かるのは、ウーン、10年後?