父、旅立つ。思い残すことはなかったか。
父が長年の闘病生活に終止符を打った。慢性腎不全で十数年に渡って週3回の透析治療を受けながらも、その間2つの癌の手術に耐えた。しかし、昨年の8月に脳梗塞を発症。3ヶ月の急性期病棟及び回復リハビリ病棟での入院を経て11/18に退院。在宅療養が始まった。姉がまず介護休暇を取得し、両親のマンションに泊まり込み、介護をしてくれた。しかし、せん妄をきたすようになり、昼夜逆転が始まり、2週間もしないうちに姉の疲労がピークに達した。12月の第2週からは私が介護休暇を取り、交代しようと話を進めていたところで、母が英断。我々子供たちに迷惑をかけたくない、施設へ入所して貰おう、とケアマネに相談した。施設への入所がトントン拍子に決まり、12/3からいわゆる有料老人ホームにお世話になることとなった。姉は他県にある自宅へと帰り、私は週1回、母と共に施設に面会に行く、という生活が始まった。しかし、コロナ禍の第6波が始まり、この2ヶ月は面会もままならぬ状態となっていた。さあ、その第6波に対するマンボウがあけて、また面会も再開となろう3/22を待っていた我々家族に、厳しい現実が待っていた。3/20夕方に自室で倒れているところを施設スタッフが発見し、救急搬送してくれたが、懸命の治療も甲斐なく、3/21未明に旅立った。84歳であった。今日は、通夜の斎場にいた。死化粧が施され、白装束を羽織り、納棺された父の顔は、最後に面会に行った2ヶ月前より一層痩せが進んでいた。父の孫たち、つまり我々姉弟の子供たちは、マンションで介護している時に見舞いに来て以来、3ヶ月以上隔てての再会である。祖父ちゃん、えらい痩せてしもうて。天国に行ったらまた好きなもの食べて、体重戻しや。私の長男がそう声をかけていた。7年前、小学生となって語彙が増えてきた彼は、泊まりがけで日本海側の料理旅館に一泊旅行をした際に、蟹の刺身、焼き蟹、蟹すきにと舌鼓みを打つ父にこうのたもうた。「祖父ちゃん、思い残すことはないか?」息子よ、それから7年経ったが、あの時より美味しい会食は無かったであろうから、思い残すことは無かったと思うぞ。母と姉は寝ている。私は線香の煙を絶やさぬようにしながら、父の遺影を前にこのブログを記している。南無阿弥陀仏阿弥陀如来さま、どうか父に美味しい蟹をお与えくださいますように、お願い申し上げます。