自由の幻戯 17 最終章 蕾が綻んで花が咲く
自由の幻戯(めくらまし) 17 最終章 蕾が綻んで花が咲く 自由なんてものは幻戯(めくらまし)かもしれねえよ、 自分のもっている自由を忘れてしまって仕舞いこみ、 自分のもっていない自由を探して彷徨う、 自由なんてものは、江戸の町のあちこちに転がっていたのかもしれねえな、 そいつを拾うか捨てるかはお前さんの自由だがね、、 寒い冬を越え、固い蕾がほころんで、梅が咲き、鶯が鳴いて、江戸の町より一足遅れて甲州道の道々にも桜が咲き始めていた。 人々の心も浮き浮きして、布田宿の天神市はいつもより賑やっていた。 天神様に通じる路地には蓆(むしろ)に並べらえた出店が出ていて、竹蔵の広げた蓆では、朱雀の篠笛にあわせるように、鳥のからくり人形が踊っていた、 ~ピーヒョロ ピーヒョロロ ピーピーピーヒャロロ~ ~鳥笛は10文だよ、鶯 ホウホケキョ ホウホケキョ ~ ~鳩笛が ぽっぽっぽー~~ひばり笛だよ、ピーチパーチク、~とんび笛だよ、ぴーひょろお、~ 竹蔵の作った擬笛に子供たちが目を丸くして集まっていた。 天神通りの角では花川戸の唐辛子売りの七兵衛が ~トントンとんがらしは辛いよ~と、小太鼓を叩きながら踊り、竹蔵と朱雀の方へ、にこやかな笑顔を送っていた。 多摩川縁の下石原の土手には草が青緑の芽を伸ばしていた。 竹蔵と朱雀は本所の津軽曲石藩下屋敷を脱してから、下石原の多摩川の萱の原の小屋に戻り、勘助じいとまた暮らしていたのだ。 体の不自由になった勘助だったが、竹蔵の作った杖をついて河原の土手に出て、嬉しそうに春の風にあたっていた。 竹蔵が犬笛を吹くと”ぼぶ”とう犬が嬉しそうに尻尾を振ってやって来て仲間に入った。新しい仲間だった。幸せな春の空気が流れていた。 自由などという幻戯(めくらまし)に騙されちゃあいけなかったのか、ないものを追いかけても畢竟、自由にはなれずに、底なし沼で溺れ死にところだった。 今、竹蔵と朱雀はこの多摩川縁の粗末な小屋に住んで、ここにも自由という草が生えていることを知った。草や木は場所は選べない、その場所で枝を伸ばし葉を延ばし、命を全うする。その中に自由もきっとあるんだ。 そんな勘助の小屋に花川戸の唐辛子売りの七兵衛が訪ねてきた。「谷淵嫌九郎はの、鳥居耀蔵の怒りをかい、江戸払いになり、谷淵家を追放され、無一文の素浪人になったということだ。 けどな、谷淵嫌九郎は、出世や身分なんかにとらわず、武士なんぞという重たい荷を背負うことのない浪人暮しの方がよっぽど清々しいと言ってたそうだ。 下載清風、武士という重き荷物を捨てて清々しくいこう、の心境だったそうだ。さっぱりしたいい顔をして旅だったそうだ。」 竹蔵と朱雀にはもう、谷淵嫌九郎を恨む気持ちはとっくに失せていた。 「竹蔵よ、また笛を作くってくれ、お前の作る鳥笛は天下一品なのだ。花川戸の”百舌鳥笛”の木助に頼まれてるんだ、天神市の時にはここに寄るので頼むぞ」 多摩川の縁に腰を降ろして、竹蔵は犬の”ぼぶ”の頭を撫ぜながら、姉の朱雀の篠笛を聴いていた。幼少の頃を思い出させる懐かしい音風景であった。 と、霞の中を、多摩川の縁を避けるように小船が川の真ん中を流れていた。 船頭が一人と船には二人の可愛い眼をした五歳くらいの子供が乗せれれていた。 ~人買い船だ!~ 自分たちもああして流れてきたのだろうか、思わず朱雀が叫んだ!「おおい、その子供を買うよぉ、その子供を買うよぉ、、」 人買い船の船頭は舵を変えて竹蔵や朱雀のいる川縁に近づいてきた。 小屋から杖をついて出てきた勘助が船頭に目をやって、「惣治郎どんじゃねえか、、」「おお、勘助どん、また、この子らを助けてくれるのか、儂も齢じゃ、この人買いの仕事はこれで終いにしようと思ってるんだよ、よかったよかった、いいひとに買われてよかった。重い荷を下ろしたようだよ、のう、勘助どん、儂は悪いことをしてきたのじゃろうかな、、、」 ~えっ、じゃあ、この人がわたしたちを?~ 多摩川を下った遠い日の記憶が鮮やかによよみがえってきた。 竹蔵と朱雀は二人の子を抱き上げて、頭を撫ぜた。 犬の”ぼぶ”がわんっと吠えた。 歩いたお前の人生は、悪くもなければ良くもない お前にとって丁度良い 良寛 おわり 長いお付き合いありがとうござした 朽木一空