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2005.07.15
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カテゴリ:NK関係
 頭のてっぺんから指の先まで、何やらむずむずとした感覚がまだ走っている。俺はその声のする方に振り向いた。そこには、肩よりやや長く髪を伸ばした男が部屋に入ろうとしていたところだった。
「ああ、カナイ君」
「こんにちは行末さん、週末はウチもお世話になります。それより今の話、本当ですか?」
 カナイと呼ばれた彼は、飛び上げたすっとんきょうな声とは対称的にていねいな言葉使いで店長に訊ねた。
「本当だよ」
「じゃあ両方中止ですか?」
 言いながら彼はつかつかと中の、俺達が話し合っていたテーブルの側までやってくる。小気味いい程の早足だ。
「あ、いや、そういうことじゃないんだ。結構君ら目当ての客が最近多くもあるしね、それにこれだけ急だと、告知もできないし。だからRINGERの方にはトーク・ライヴという形を取ってもらおうかと」
「…なあんだ…」
 がくん、と彼は肩を落とした。
 そしてその時俺はやっと、彼の姿をしっかり見ることができた。近眼なのだ。まあ、眼鏡なしでも普通の行動は取れるが、人の顔などはある程度近くに来ないと把握できない。それこそ小学校の頃からそうだったので、眼鏡をかけるのが基本的には好きではない俺は、人の顔よりも、声の方に敏感になってしまっていた。
 まず声。そして見かけは二の次三の次だった。
 だがその見かけも、決して悪いものではなかった。雑誌や情報TVで見た時よりは地味な恰好をしていたし、すっぴんだったが、それでも何やら実にくっきりとした顔立ちをしている。目はさほど大きくもないが、暑苦しい印象を与えない分好感が持てる。
「ま、だから、せっかくほらケンショーも来ていることだし、カナイ君打合せとかあれば、していけば?」
「ケンショー?」
 彼はその時やっと俺に気付いたようだった。
「ギターのケンショーさん?」
「あ?ああ」
 端正で、大きすぎない目がこちらを向いた。そして口元が軽く上がる。
「噂は聞いてます。俺、対バンの…いや、対バンする筈だったバンド『S・S』のヴォーカルのカナイです。よろしく」
「カナイ?ってどう書くの?」
「仮の名に、井。結構変わった名でしょ」
「ああ、確かにそう見ないね」
 そう言えばそうだった。にこやかとまでは言わないが、機嫌悪くはなさそうな顔で、そんなことを言う。
「でもメンバーが失踪なんて、穏やかじゃあないですねえ」
「カナイ君!べらべら喋ったりするんじゃないよ!」
 店長がやや厳しい顔になって言う。
「判ってますよ。でもRINGERのヴォーカルって、俺結構好きだったんだけどなあ、あの歌」
「サンキュ」
「でも」
 彼はにっと笑った。それまでの社交用スマイルではなく、何処か自信と嘲りが混ざったような、そんな物騒な笑み。ぞくり、と背筋に寒けが走るのを感じた。
「でもそれだったら、俺達はダッシュしてあんた達を抜いてしまってもいいんでしょうね」
 思わず俺は立ち上がっていた。
 冗談ですよ、と彼は付け足した。上等な笑みはそのままに。

   *

 …やばいな。
 帰り道、俺はそんなことを考えながら歩いていた。
 何がやばいかと言うと、今の声なのだ。先程も言ったが、俺は人に惚れる際、まず何よりも声に左右されるのだ。不思議なもので、その場合、男も女も関係がないらしい。
 その場合、一般的に聞いて特別いい声とか、美しい声とかである必要はないらしい。とにかく何処か、俺のツボにはまる声。それを出す奴であれば、その時点で、そいつが男だろうが女だろうが、美人だろうがそうでなかろうが、大きかろうが小さかろうが、どうでもよくなってしまうのだ。
 まあさすがに年恰好ばかりは、そうそう許容範囲が広くはないのだが、それ以外に関しては異様にレンジが広いらしい。
 目が良くないから、外見はそう気にする質ではない、ということが変に幸いした。だから、同居人だっためぐみもそうだった。彼に関しても、やはり声に惚れたのだ。
 その際、彼の、成年男子にしては可愛らしい容姿だの、割と落ち込みやすい性格だの、もしかしたら野郎は恋愛の対象外である、とかそういったことはまるで気にならなかったのだ。
 当時めぐみは、ごくごく堅気の専門学校生だった。出会ったのは、偶然だ。
 俺はその頃、チェーン店飲み屋でバイトしていた。春先だった。めぐみは新入生歓迎コンパか何かで団体でやってきていて、カラオケで楽しそうに歌っていた。
 何やらずいぶんと上手い子だなあ、とその時俺は、エプロンを付け、ビールびんを片手に二本づつ持ちながら思っていた。
 何せ彼はその時、男性ヴォーカルの歌も、女性ヴォーカルの歌も、基本のキーで歌いこなしていたのだから。
 そして俺はその声に惚れて、彼をこちらの世界に、バンド仲間に引きずり込んでしまったのだ。コンパの三次会に行こうとする彼の手を思わず掴んで、住所と電話番号を訊いてしまった。
 俺は当時も金髪で長髪だったから、きっと彼は当初恐がっていたに違いない。実際周囲にいた同級生達も、彼をかばおうとしていたふしがあった。
 だが後で電話したら、意外にもあっさり出てきてくれた。
 そして、さすがに当初彼は俺の言うこと自体が理解できなかったらしい。そりゃ当然だ。歌っていた声が良かったから、バンドのヴォーカルに。その位は許容できるだろう。だが、歌っていた声が良かったから、付き合ってくれというのは。
 だが不思議なもので、それでも時間が経つにつれ、ものごとはなるようになってしまったのである。めぐみだけじゃない。過去俺が付き合ってきた奴が、それこそ男女問わず、全てがそうだった。





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最終更新日  2005.07.15 06:47:24
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