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カテゴリ:NK関係
「今僕が見つけて援助できる、いい事務所に紹介できるバンドは、一つなんだ。とりあえず僕にはその程度の権限しかない。で、君達を注意深く見ていた」
「ところが、彼らも見てしまった」 「そう。どちらも捨てがたい。はっきり言えば、君なら、彼の持っている華に匹敵できると考えてる。僕は僕で、君達を前に押し出す努力をしようという気になれる」 「…」 ふう、と俺はため息をついた。混乱、とまでは言わないが、考えなくてはならない重要な情報、という奴が、一気に頭の中に飛び込んできたので、まだどれが一番大切で、どれがそうでないのか、その整頓ができていないという状態なのだ。 「しばらく考えさせて下さい」 「…そうだね。その方がいいと思う。でも僕は、君に関しては、君が、メジャーに行きたいのだと思っていたけど?」 俺は息を呑んだ。そう見えるのか。 「そう見えましたか?」 「直感だよ」 彼はふっと笑った。目尻にシワができるところは、三十代も半ば過ぎてるな、と俺は思った。 「一つ聞いてもいいですか?」 何、と彼は返した。 「めぐみは…うちのヴォーカルは、比企さんの目から見て、どうだったんですか?」 「そうだな…」 天井を見、髪をかき回し、どう言っていいのか、S・Sのギタリストの形容以上に迷っているように見える。 「いい感じだと思ったよ。うん。嘘じゃない。ただ、ひどく不安定な感じを覚えたんだ」 「不安定?」 「だからその不安定さがいい感じで出ていたから、これまで良かったんだろうけど…失踪か。そういうふうに出るタイプだとしたら、メジャーは辛いだろうと思う」 かもしれない。俺は黙ってうなづいていた。決して綺麗な世界ではないのだ。 「じゃあ、彼は…カナイは大丈夫だと?」 「…勘だけどね」 そしてそれに関しても、嫌になるくらい俺はうなづけたのだ。 * 「辞める?」 中山が言い出したのは、その二日後だった。 「もしかして俺の耳がおかしくなったのかも知れないから、もう一度言ってくれないか?」 「何度でも言うよ。バンド辞める」 ちょっと待てよ、と小津は座っていた茶店の椅子を立ちかけたが、俺はそれを右手で制した。 中山はひどくさっぱりとした口調で話していた。そこに何かの未練だのの湿った感じがまとわりついていればともかく、そこには何もなかった。乾いた事実だけが、彼の口からは流れ出ていた。 「何で?」 「正直言えば、怖じ気付いたんだ」 「怖じ気付いた」 「俺は、メジャーで大丈夫か、ってことだよ」 「…そんなこと、やってみなければ判らないだろ?」 「ケンショーはそうかも知れないけどさ、俺は違うんだ。憶病なんだ。確かにベースは好きだよ?こうやって、お前らとやってくのも好きだよ?だけど、それだけで毎日を暮らしてくことを考えたら…怖くなったんだ」 俺は眉を寄せた。アイスコーヒーの中に入った氷が、からん、と音を立てた。ゆっくりと、溶け出して、黒い液を次第に薄めていく。 「俺は、ベースを弾くのが好きなんだ。好きじゃなかったら、今までやって来なかったよ。だけど、それは、ベースで食っていた訳じゃなかったからじゃないか、って思う…思ったんだ」 「ベースは…音楽は、お前にとって、ただの、趣味だった?」 「…それは判らない。だって、今だって俺は、お前らと演奏する、そのこと自体はすごく好きなんだから。だけど、もしそれが『仕事』になってしまった時、俺は、これまでみたいにベースを好きでいられるかどうか…自信がない」 ふう、と俺はため息をついた。 「仕方ないな」 そう言うしか、俺にはできなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.07.26 22:21:52
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