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炬燵蜜柑倶楽部。

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2005.08.02
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カテゴリ:NK関係
「おいモリエ」
 俺は前に居る奴に声をかけた。
 テトラポッドの上。雨が降っているというのに、傘もささずに、奴はぼんやりと海を眺めている。
 服はもうびしょぬれで、いつもだったらくるくると元気に跳ね回っている薄い茶色の髪は、まっすぐになって水が滴っている。
 あれはブリーチでもパーマでもない。天然だった。昔はよく同級生にからかわれて、そのたび一つ上の俺がそいつらを追い払っていたものだ。
 そんな髪も身体も濡れたままで、延々、海を眺めている。
 こんな日の海なんて見たって、何が楽しいんだ? ただ灰色の空が映ってるだけじゃないか。
それでも奴は、ずっと海を見続けている。

   *

「居ないんですか?」
 ええ、と奴によく似た母親は頬に手を当てて首を傾げた。つい三十分前のことだ。
「今朝、浜に出てくるって言ったきりなのよ」
「浜へ」
 ちら、と斜め上にある時計を見る。ドライフラワーの入った壷の上にある時計は、午後二時を少し過ぎていた。
「お昼も食べずに、お腹減っていないかって心配なのよ」
「あの…雨が降り出していますが」
「あら」
 彼女は手を頬から口へと移動させた。細い銀の指輪がきらりと光る。
「あらあらあらあらあらあら大変。ねえミナト君、あの子のところへ傘、持っていってくれないかしら」
「俺…が?」
「だってわたしじゃあ、あの子の居場所は判らないわ」
 そう言いながら彼女は傘立てから、黒い大きな傘を取り出して、俺に突きつけた。このひとはいつもそうなのだ。
「浜ですね」
「そう浜。どうしていつもあなたは判ってしまうのかしらねえ?」
 その疑問には答えずに、俺は荷物を置いて再び外に出た。

 久しぶりの帰省だった。
 いや、正確に言えば帰省ではない。実家に行く予定は無いのだから。
 それに、「帰る」という気持ちがあった訳ではない。俺は、呼び出されたのだ。奴から。
 もっとも、いつもだったらそれに応じたのかどうかも判らない。モリエの住む町は、俺の実家のすぐ隣だ。小学校区は違ったが、中学校区は同じだった。何かの拍子で、同じ町だった連中に見つかるかもしれない。ちょっとばかり、それは避けたい。
 なのにそれに応じてしまったのは、今現在、俺自身がなかなかこの春の落ち込みから立ち上がれないせいだと思う。
 この春、それまで俺が属していたバンド「SS」が解散した。俺はギタリストだった。そしてメインのコンポーザーだった。活動が本格的になったのは、一年かそこらだったのだが、その割にはとんとん拍子にライヴハウスでも人気も出て、何となし、メジャーの方からも声が掛かり出している頃だった。
 俺はそのバンドに非常に満足していたし、このままメジャーに行って、がんがんにやりまくりたい、と思っていた。
 無論そう簡単に物事が運ぶ訳ではないことは知っている。だが二十歳そこそこの俺が一番年長であるような、若いメンバーのバンドである。何か壁にぶつかって失敗したとしても、まだやり直せる年頃だ。やってできることはやっておきたい、と思っていた。
 なのに、だ。そのバンドのヴォーカリストが、引き抜きにあったのだ。
 俺はかなりのショックだった。俺が見つけたヴォーカリストだった。いや、向こうからしてみれば逆かもしれない。とにかく、俺としては、今までちょろちょろとやってきたバンドの歌うたいなぞよりは、ずっと将来も期待できる、何より、演奏して熱くなれる奴だ、と思っていたのだ。
 ただその引き抜いた相手が悪かった。うちのヴォーカリストは、ずっとそのバンドのギタリストが好きだったのだ。音だけでなく、人も。
 いや、「人」に関しては、「ファン」という立場だったのかもしれない。そのあたりは俺もそいつから詳しくは聞いていないから判らないが、まだバンドを本格的に始める前から、そいつはそのバンドのライヴには通っていたというし、そのギターの音が大好きだったのだという。
 ところがそのバンドから、いきなりヴォーカルとベースが脱退した。そこでギタリストが後任として白羽の矢を立てたのが、うちのヴォーカルだったのだ。
 どうもそこには、俺達のバンドと、そのバンドの両方に目をつけていたメジャーのレコード会社の思惑が働いていたらしいが、詳しいことは判らない。
 結果として、うちのバンドは解散し、ヴォーカルとベースが、そのまま向こうのバンドに吸収される形になった。
 まあだが、それはある程度の時間、こういった世界に足を突っ込んでいれば、経験することではある。多少落ち込んでも、次を探そう、という気も起きるだろう。
 ただ今回は、ちょっと訳が違った。
 電話で「脱けたい」とそいつが言ってきた。出向いたら、何やら具合悪いらしく、そいつは寝込んでいた。問いただしたら、どうやら、そのギタリストと何かあったらしい。
 そして、その「何か」にとても怒っているくせに、それでもそのギタリストが好きなのだ、とそいつは言った。
 その「何か」を理解した時に、俺の中の何かが切れた。
 俺はそいつの声が好きだ、と思っていた。その声と、歌と、コトバが好きだ、と思っていた。だから、そんなものを生み出す、ヴォーカリストとしてのそいつが好きなのだ、と。だからずっとやってきたのだ、と。それだけだと思っていた。
 ところが、その「何か」を理解した時、どうやら自分のその思いこみは違っていたことに気付いたのだ。
 その「何か」のせいで、具合が悪くて寝込んでいる奴を見ながら、話を聞きながら、自分もそれを、何処かで望んでいると。
 気付いた時、俺は思わず目眩がした。自分がそんなこと考えていたなんて。
 結局「SS」という名前がついていたうちのバンドは解散した。俺はそのギタリストを許せたものではないのだが、かと言って、自分がそういう立場だったらどうだろう、と思うと、そうそう悪態一つつける奴ではないことに思い当たるのだ。
 うちのヴォーカルとベースを吸収したバンドは、メジャーデビューへの階段を上りつつあるらしい。まだ高校生であるメンバーが卒業するまでは、それを見合わせている状態だと聞いている。
 その話をしてくれた、彼らの事務所の社長は、俺に対して、スタジオ・ミュージシャンとしてとりあえず働く気があるなら、仕事を世話する、という話をしていった。俺のテクニックには見るものがあるから、ということで。コンポーザーとしての俺には一言も触れずに。
 音楽を仕事にしたくて、始めたバンドだ。だからそれはそれで悪い話ではない。少なくとも、そこである程度仕事ができれば、故郷に帰らなくて済む理由もできる。
 悪くはないのだ。ただまだ、上手く消化できていないだけなのだ。
 ギタリストとして認められるのは嬉しいけれど、前のバンドで、殆どの作曲とアレンジをやってきた俺としては、何処か自分のしてきたことがひどく空回りしていた様にも感じられるのだ。結構苦労はしてきたのだ。ヴォーカルの奴が歌いやすいように、とか、ここではベースが引き立つように、とか。
 それなりの努力。それが何も取り上げられることなく、「お前の才能はそこに無いんだ」と言われているようで。
 その二つが、ずっと頭の中でぐるぐるとしていた。
 とどめが、その新しいメンバーになったバンドのライヴを見てしまったことだ。
 さすがにまだ、合わせても上手く演奏としてまとまっている訳じゃあない。そりゃそうだ。一ヶ月二ヶ月でまとまるとは思えない。
 だがそれでも、何か違うのだ。
 曲はそのバンド前のヴォーカルが居た時のものが大半だったけど、一つ、うちのバンドの曲だったものが演奏されていた。その曲は俺の書いたものではなく、ヴォーカルの奴が書いたものだった。
 ところがその曲のアレンジはまるで変わっていた。楽器が特にできる訳ではないそいつは、メロディラインしか作らなかった。
 俺はそのメロディを聞いて、何やらさわやかな曲だな、と解釈して、その様なアレンジをした。なのにその時、ステージで演奏されていたのは、予想しなかった程の轟音で、ひどく凶暴なものに変わっていた。
 しかもそれが、不思議な程に、似合っていた。同時に、その歌い方も。俺の知る限り、こんな歌い方をそいつはしたことは無かった。
 攻撃的だ、とは思ったことがある。そいつは決して大人しくはない。だけど前のバンドの時には、そこまで切れた歌い方をしたことはなかった。
 曲が呼んでいるんだろうか、とその時俺は思った。曲と、その曲を奏でるギターが。
 だとしたら、結局俺のしてきたことは、奴の素質を開かせることはできなかったということなのか。
 それまで考えてきたことを、丸々目の前に突きつけられた気分だった。
 そんなこんなで、次のバンドを組む気力もなく、ただ毎日バイトを入れ、ギターを時々かき鳴らしては、日々を送っていた。
 スタジオミュージシャンのお誘いの方も、保留にしたままだった。急がなくてはならない理由はない。ただそのまま放っておけば、俺が業界から忘れ去られる、それだけだ。
 判ってはいる。それでも今は、どうしても動く気がしないのだ。

 そんな時に、電話が鳴ったのだ。





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最終更新日  2005.08.02 20:33:37
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