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「何ででしょうね」
アゲハ、と呼ばれた相手は彼女ににっこりとほほえみかける。 「どうして私なんでしょうね。彼女ではなく」 「それは私が聞いていることだ」 鋭い声が、相手に真っ直ぐ放たれる。ふふ、と相手は笑う。 「遠く離れた妹にはるばる会いに来た、ではいけませんか?」 だって私達姉妹でしょう? 「キラさん」 相手はそう続けた。 「…間違ってはいない」 塔矢煌は、しぶしぶそう答えた。 そう、間違ってはいない。間違ってはいないのだ。 だけど。 「それとも」 相手は首を軽く傾げる。その拍子に、柔らかそうな明るい色の髪がふわりと揺れる。 「ハニイ以外は、あなたのお姉さんにはなれないのですか?」 「…その言い方は好きではない」 「けどその言い方の方が安全でしょう? キラさん」 「少なくとも、―――は、私のことを、そう呼んだりはしなかった」 そうだ。煌は記憶をひっくり返す。姉は、蜜は、自分を――― 「でもあなたの知っている彼女は、十二かそこらまででしょう?」 「それは」 煌ははっとして顔を上げる。 名前を呼んでくれた。とことこと着いてきた。ぼんやりと遠くを見つめていた。雨を眺めていた。自分を呼んだ。キラ。 その音が、とても、柔らかくて。 だがそれは子供の―――ほんの、子供の頃の話だ。そして煌は、姉の―――蜜の、少女の頃しか知らない。 十二の歳に、消えてしまった姉。 十六の時に再会した時には、この目の前の相手が姉に代わって自分の相手をした。 同じ身体を持ちながら、中身は違う。名前も違う。 十六の時には、鳥の翼の名前を持っていた。 そして海を渡り、鳥は蝶に変わった。 「…おじ様はお元気か?」 煌は話を変える。元気ですよ、とひらりと相手は答える。 「そうでなければ、私をわざわざ日本へ送りはしませんからね」 一度国から逃げた少女は、彼女の父母の古い知り合いのもとに身を寄せた。 そしてそこで新しい籍と、名を手に入れた。 一つはハニイ・揚。甘い蜜の名前。 そしてもう一つは。 羽という名をかつて目の前の元少女は持っていた。蜜の身体の中に生まれた、別の人格の総合した名前。 それにちなみ、彼女は「揚羽」ヤン・ウーと呼ばれている。 そして日本語に堪能な彼女の保護者は、こう呼んだ。 「アゲハ」と。 「蝶は花に呼ばれるんですよ」 「…私は冗談が通じない性格だぞ」 「いえいえ」 ひらひら、とアゲハは手を振る。 「とりあえず、お茶を如何ですか? 走ってきたなら喉が乾きませんか?」 「私は話をしに来たんだ。それどころじゃあない」 「ここのスコーンは美味しいでしょうに」 皿に盛られた幾つかのかたまりをアゲハは指す。カレンズの粒が見えるもの、レーズンが顔をのぞかせているもの、そして。 「確かに私はここのスコーンは好きだ。それに今日はかぼちゃのスコーンもある」 山吹色の焼き菓子に、彼女は視線を移す。 「ぱっくり割ると鮮やかな黄色が美味しそうで、大好きだ。好物だ。ハロウィンの頃なんて、食べ過ぎてお母さんに叱られたこともある」 「そうらしいですね」 「そうだった、んだ。だけど、今日の私は、貴女と話をしに来たんだ」 顔を上げる。 ふふ、とアゲハは笑う。 「無粋ですね」 「ああ、無粋、大いに結構」 ぴしゃり、と煌は言い放つ。両手を大げさに広げる。 「私はあいにく、貴女も知っているとおり、お父さんそっくりなんだ。相も変わらず! 誰もが知ってる通り!」 「その様ですね」 「うちの事情に、海の向こうからでも詳しい貴女なら、知っているだろう? あの朴念仁、唐変木、それでいて、誰かさんだけ一途にアイし続けている、あのお父さんそっくりだとね」 「らしいですね」 「誰もが言う。言われてきた。塔矢さんちのキラさんは、まるで名人の子供の頃そっくりだ、いつも言われてきた」 「ええ」 「アゲハさん、貴女は知らないかもしれないが、私はずっとそうだった」 「―――そう」 アゲハはゆっくりとうなづく。 「確かに、私は直接その頃のあなたの姿を見た訳ではないですね。見たのはハニイの方。そんなあなたの姿はハニイの記憶の中にしかないですから」 残念ですけど、と彼女はポットを手にする。 こぽこぽ。言葉と共に、お茶が煌の前に置かれたカップ注がれて行く。 思わず煌はその金色の液体に目が引き寄せられる。ぐるぐる、と液体はカップの中で渦を巻く。 「でも私は、別に冗談を言っている訳じゃあないのですよ」 「どうして」 煌は苦笑する。 「花に引き寄せられた、なんて。比喩だったとしても妙だ。からかってるとしか思えない」 「それではあなたには、やっぱりあれは、見てなかった―――いえ、見えなかったんですね」 え、と煌は眉を寄せた。父親譲りの、濃い黒い、眉。 「あの、『花』を」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.08.23 21:46:26
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