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2018.01.23
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カテゴリ:北朝鮮かんけい
​​​​​​​​​​​​​​​さてほんじつのラインナップ。
最初にアレだな。他ニュースで報道しまくってる軍創建日の変更。

​​​​​​​○ 朝鮮労働党中央委員会政治局決定書
 2月8日に朝鮮人民軍創建日意義よう記念することについて 01.23
○ 革命的な思想攻勢で大衆を偉勲へ鼓舞 01.23
○ 白頭の攻撃精神でリョンイル革新 01.23
○ 質の良い人民消費品をより多く生産するために積極的に努力している。 01.23
○ 効能の高い草の緑色栄養液の開発 01.23
○ 国の自主権と民族の尊厳をしっかり守ってくれて 01.23
​○ ムービーの度胸と根性を担い、 01.23​
○ 自衛的な国防工業の発展に積み上げた絶世の偉人たちの不滅の業績を胸深く刻まれていく。 01.23
○ 主体科学の力で 01.23
○ 【ロンソル]政治・思想的威力は、社会主義強国建設の偉大な推進力 01.23
○ 不滅の指導業績を通じた偉大教養活発 01.23
○ 愛国の心をどのように育てた 01.23
○ きっかけと工程をよく利用して 01.23
○ 偉大な 将軍様の不滅の指導業績を輝かせヨガル決意にあふれている。 01.23
○ 扇動員を積極的に前に出して 01.23
○ 階級教養を方法論に 01.23
○ 朝鮮式の制約のためエバポレータ開発 01.23
○ 自力更生の旗を高く掲げ、多くの碍子を生産している。 01.23
○ 貨車保持時間を減らした秘訣 01.23
○ 尊敬除隊軍人作業班長 01.23
○ 故郷の地の明日のために一生を捧げた農村革命家 01.23
○ 農業生産の科学化を積極的に推進 01.23
○ 第23回白頭山賞中央機関の活動体育競技大会開幕 01.23
○ 社会主義農村を力強くサポート 01.23
○ 私たち芸術団派遣のためのローカル料して代表団南側地域を訪問 01.23
○ 好評を考慮約が開発されるまで 01.23
○ 栄誉軍人を大切に熱い心 01.23
○ 一当百の気象を万国に誇示した痛快な勝利 01.23
○ 英雄的朝鮮人民軍が一番である 01.23
○ 降伏文書踏んで通り過ぎた道のり 01.23
○ 戦利品の前で 01.23
○ 千万軍民の高騰報復意志の発現 01.23
○ 敗北は、米帝の宿命 01.23
○ 【情勢論解説]北南関係改善の流れに逆行する南朝鮮保守一味に順番れそうは最も悲惨な破滅だけだ 01.23
○ 朝鮮人民の正義の偉業を支持する 01.23
○ [論評]緊張激化を狙った危険な武力増強策動 01.23
○ ドゥルチュル収録悪臭李明博を拘束しろ 01.23
○ 【情勢論解説]南朝鮮の保守言論は、民族の代謝を台無しに食べようとゴシップ質をすぐにやめなければならない 01.23
○ 米国全域でトランプ政権に反対する抗議デモ展開、100万人以上の各階層の群衆が参加 01.23
○ 南朝鮮市民団体保守団体の「歳月」号の惨事歪曲策動を糾弾 01.23
○ 米国の会議卑劣な策動を断罪 01.23
○ イスラエル軍の殺人蛮行 01.23
○ 西側メディアの報道を排撃 01.23
○ 「プエブロ」号事件の歴史的真実 01.23
○ 朝鮮の勝利は真理、アメリカの滅亡は必然 01.23
​○ 戦利品の処分権限は勝利者にある 01.23​​​​​​​​


あ~何か今日は日本ネタは無いなあと思ったら、赤くしたとこ全部​「プエブロ号事件」​のことだったわ。
1/23がどうもその記念日らしく。
ちなみにウィキ

>朝鮮人民軍のゲリラ部隊が大韓民国の朴正煕大統領殺害を企てた青瓦台襲撃未遂事件から2日後の1968年1月23日、北朝鮮東岸の元山沖の洋上でNSAの電波情報収集任務に就いていたプエブロ号が、領海侵犯を理由に北朝鮮警備艇などから攻撃を受け、乗員1名が死亡、残る乗員82名が身柄を拘束され、北朝鮮当局の取り調べを受けた。ただし、​実際に領海侵犯が行なわれたかどうかについては、現在もアメリカと北朝鮮で主張が食い違っている。​
アメリカ合衆国政府はアメリカ空軍に戦闘準備を命じ、海軍空母部隊(航空機200機)を日本海に展開して乗組員の解放を要求したが、​北朝鮮はこれを撥ね付け、逆に領海侵犯を謝罪するよう求めた。​アメリカは​1953年7月27日に署名した朝鮮戦争の休戦協定を破るわけにはいかず、またベトナム戦争が拡大し続ける中であり、戦線の拡大は「ソ朝友好協力相互援助条約」に基づく北朝鮮の同盟国であるソ連の自動参戦を招きかねないことでもあった。​
結局、アメリカは外交的解決として、板門店での会談で北朝鮮の用意したスパイ活動を認める謝罪文書に調印することとなった。​乗員は11か月の拘束の後の同年12月に解放された。プエブロ号の船体は返還されず、現在も北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国の管理下に置かれて首都平壌市内の大同江で一般向けに観光公開されており、​同国の反米宣伝に利用されている。​
(中略)
この事件は、アメリカ人を人質に捕ることで、朴正煕政権の北進を断念させる狙いがあったともいえる。一方、戦争の危険を顧みずにアメリカに挑戦し、ぎりぎりの外交戦術で相手の譲歩を勝ち取る瀬戸際外交の始まりであったと見るものもいる[​1]。

……つまり瀬戸際外交はここから始まった、ということか。
以下、国内向け​​「~の誇らしいことがあった、今はその再来だ、米国が負けるのがこの世の法則だ、だから今回もしっかりやれ!​」​​と、​「​過去こんなことがあったぜ、お前等が負けるのが~だからその時をことを思い出してこっちに屈服しろ」​​です。
はい。
以下長いです。でも​​どっちかでしかない​​です。ついでに言うと中略したいのにしにくくて嫌です。

​​​​○ 国の自主権と民族の尊厳をしっかり守ってくれて 01.23
通常ガンバンの祖国解放戦争勝利記念館の略奪武器展示場には、50年前、私たち人民軍によって拿捕された米帝の武装スパイ船「プエブロ」号が革紐れている。(中略)
↓(ここから北から見た事件の流れ。長い)

主体57(1968)年1月23日午前、朝鮮東海の麗都から7.6mileされる海上でベニヤの船を発見された。船には何の国籍マークもなかった。
通常の警戒勤務を行うていた朝鮮人民軍海軍艦艇は得体の知れない倍に接近して国籍を明らかにするように要求した。しかし、その船は逃げようと試みながら、私たちの海軍艦艇に挑戦し機関銃射撃までした。
祖国解放戦争勝利記念館の講師である共和国の英雄インホ同志はそのを回想してこう言った。
「憤激した私たち海兵たちは、すぐに対応射撃をしました。私と6人の調査チョ・ソンウォンは得体の知れない倍の船尾甲板右いち早く飛び出し上がっ奴らの武装を一気に解除し、船を拿捕しました。」
その船がすぐに米帝の武装スパイ船「プエブロ」号であった。
米国では、最新式の電子機器と現代の武装を備えた、このような型の専門的な武装スパイ船が元3隻があった。そのうちの一つは、「リバティ」号として1967年の中東戦争の時破壊されだった「プエブロ」号が拿捕されて、当時のままになりなったその姉妹船と呼ばれる「バーナー」号だけだったという。
偵察活動を目的に特別に設計されて乾燥された「プエブロ」号は、米海軍が「隠れた帝王」と自任していた船であった。
朝鮮中央通信社は東海岸で行われた事件の真相を全世界に報道した。
全世界が死んで窯クルドゥトた。米帝が「アメリカの公民戦争以来、海で拉致された最初の船」としながら「米国の数値」と騒いを打った「プエブロ」号事件は、このように行われた。
わが軍隊と人民は、鋼の霊長であり、優れた軍事戦略家である金日成同志と偉大な将軍様を高くリネンて「プエブロ」号事件をきっかけに、私たち共和国をどうして見ようた米帝の発光的な戦争挑発策動を断固粉砕国の自主権と民族の尊厳をしっかり守ることができたし、反米対決戦士にまたハンペ地勝利の章を散りばめた。
米帝の武装スパイ船を拿捕したとの報告を受けた金日成同志は本当によくしている、非常によくしている、私たちの海軍同志が勇敢にも戦ったと称え希望だった。そうしながら武装スパイ船「プエブロ」号事件は、米帝の侵略者が私たち国領海に侵入してスパイ行為を敢行した強盗さながらの海賊行為であり、主権国家の乱暴な侵害であり、朝鮮から新しい戦争を起こそうとはアメリカ帝国主義者の計画的な侵略策動の一環と、武装スパイ船「プエブロ」号を拿捕したは、主権国家の自主権の行使であり、民族的尊厳と国の安全を守るための私達の人民の自衛的措置と希望した。
金日成同志は、長い時間をかけて造成された情勢に対処して万端の戦闘態勢を整えることについて、具体的な教示をいただいてから米帝侵略者たちが「プエブロ」号が公海上にあったとんでもない嘘をつく条件で武装スパイ船「プエブロ」号事件の真相を全面的に暴露する一大政治攻勢を広げよう希望した。
米帝は狂ったように暴れた。盗賊毎にかかる間隔で「報復」を喧伝しながら、核推進空母と駆逐艦で構成された機動艦隊を私たちの国沿海には押した。数多くの飛行機をあたふたと南朝鮮に引き込んで、日本と南朝鮮に駐屯している米帝侵略軍と南朝鮮傀儡軍に「緊急動員令」を下した。膨大な武力が朝鮮半島に集結された。
そのいくつかの国々では、束恐怖スマート声明一つないしないし、いずれかの国では、「プエブロ」号をすぐに返すことが良いという意見まで提起してきた。
金日成同志は断固とした反撃を加え時だった。金日成同志は、米帝が第奴らの罪を認めて再びそのスパイ行為をしないと、私たちの人民に謝罪する前に、絶対に「プエブロ」号の船員を戻らないとしながら、米国これらの人は戦争を起こす私たちは、GNOMEと対抗戦わなければならあり奴らを追い出し、祖国を統一する必要があり、これは情勢に対処した私達のしっかり立場と言明希望であった。
厚顔無恥な米帝は武装スパイ船「プエブロ」号艦長が自分の子白書で「私は正直に言うなら、私たちの行為は朝鮮停戦協定に違反した犯罪行為であり、これは完全な侵略行為でした。」と告白したにもかかわらず、国連安全保障理事会まで「提訴」して、私たちをどうして見ようとした。
全世界が手に汗を握って、私たち共和国を注視していた時の主体57(1968)年2月8日であった。
この日にあった重要なパーティで、偉大な首領様がされた歴史的な演説が来た惑星に鳴り響いた。
金日成同志は、次のように述べ希望であった。
「私たちは戦争を望まないが、決して戦争を恐れてではありません。私たち人民と人民軍は、アメリカ帝国主義の<報復>は報復的には、全面戦争には全面戦争に答えていく。」
わが軍隊と人民は、この時から、その有名な "<報復>は報復的には、全面戦争には全面戦争に」を唱えながら米帝との総決算の時刻を待った。
朝鮮の爆弾宣言に米帝はどぎまぎした。
金日成同志は受け身に陥って距離の敵を談判章にドラッグ提出降伏文書受けネルデの措置をとるようにした。
そして数か月にわたって板門店交渉が行われた。
偉大な将軍様は非凡な英知と卓越した指導、白頭の度胸と根性で米帝との決戦を勝利へと導いた。
偉大な将軍様は、朝鮮をまだよく知らないのに、米国の悲劇があるとしながらこのように教示希望であった。
「世界の人々は、私たちが、米国奴らから降伏文書どのように受け入れ生じるを見るでしょう。」
歴史は絶世の偉人たちの決意と意志で流れた。
狡猾な米国製は謝罪する代わりに、「プエブロ」号がスパイ船ではないセンオクジを書いた。
偉大な将軍様は、通信、放送、新聞を通じて「プエブロ」号で押収した資料と一緒に乗組員が自分たちをスパイ行為で運転アメリカ大統領に書いた手紙を世に公開するようにした。
米帝は進退リャンナンに陥るされた。
偉大な将軍様は、もし米帝が謝罪しない場合は、「プエブロ」号の船員の電源を軍事裁判に渡すには最後通告をすること希望した。
米帝は朝鮮半島周辺に集結していた力を引き出し、私と謝罪文を書かなければならなかった。
1968年12月23日、米国は、我が共和国の要求どおり彼らが犯した罪を認めて謝罪文に署名した。
偉大な白頭統帥を高祀った英雄朝鮮は国の自主権と民族の尊厳を守り、アメリカの謝罪文をこのように受けた。
軍事力であり、国力であることを考えると、当時、米軍の最新スパイ機器の総合体ともできる「プエブロ」号がまともな抵抗すらできずに人民軍に丸ごと拿捕されて、米国政府が謝罪文を捧げたという事実は、世界の人々に与える意味は実に大きかった。
そうだ。米国が丸ごと拿捕された。過去1953年には100余年の侵略歴史を誇っていたアメリカ帝国主義が朝鮮人民の前にひざまずいた面それから10余年後には、そのいずれの海域でも取れずに公然とスパイ行為をしていた米帝の最新型武装スパイ船「プエブロ」号が大きくてもいない人民軍艦船に囚われ敵が私たちに謝罪文を納めることによって、朝鮮の前の米国は、いくつかの国であるかということをもう一度世界にはっきり示した。
米帝の武装スパイ船「プエブロ」号可憐なお世話はそれに幕を下ろしたことがなかった。
「プエブロ」号事件が起こった時、金日成同志は偉大な将軍様の最高司令官という立場で「プエブロ」号をどのように処理したらいいのか、一度決心採用をしてみろ希望であった。
その偉大な将軍様は首領様、私は米国奴らが降伏文書賭け前「プエブロ」号の船員を使えば釈放しませんし、「プエブロ」号は、私たちの戦利品であるため、GNOMEのが降伏文書に出すも返してくれませんですが、私たちの人民軍が拿捕した米帝の武装スパイ船を遠く後日博物館に展示しておいて次代にこれは私達が米国奴らから奪ったスパイ船と言っていきますって言われた。
私たち将軍の鋼の度胸と根性によってその後「プエブロ」号は、19世紀の侵略線「シャーマン」号が撃沈された大同江半に引かれて20世紀のアメリカの敗戦の賞を歴史の舞台に実物に上げておいたグフエン通常ガンバンに囲みよアメリカの謝罪文の歴史は21世紀にも変わらず流れるだろうということを言ってた。
1950年代の朝鮮戦争であった米国の大惨敗と数値を示してしぼむた徹甲モミョ砲身を地にトルグン戦車、翼が折れた飛行機をはじめ、米帝の侵略機器と並んで、今日もアメリカの謝罪文をランドクよう英雄朝鮮の勝利の記念碑の前に戦利品として革紐れている米帝の武装スパイ船「プエブロ」号こそ米国の今後の運命であり、言葉である。
また、一人の顕著な白頭領ジャンイシン敬愛する最高指導者同志を高モシて、私たちの軍隊と人民は偉大な並進の旗のもとに、社会主義強国建設反米対決戦で連ジョンリョン勝を成し遂げて主体の核発電所、世界的な軍事強国の威容を満天下に誇示している。
わが軍隊と人民は、天下一名将である敬愛する最高指導者同志の指導のもとに反米対決戦を総決算し、結局勝利を迎えるだろう。
もし米帝が「プエブロ」号の教訓を忘却して再びこの地を侵犯するなら、それは米国の降伏書に印鑑を撮る奴も残らないようになるだろう。
本社記者ギムジュンヒョク

​○ 一当百の気象を万国に誇示した痛快な勝利 01.23​
米帝の武装スパイ船「プエブロ」号を拿捕した英雄的海兵たちの闘争
(前略)
この間、米国の新聞「ロサンゼルスアンジェス・タイムズ」には、次のような文が載せられた。
「プエブロ」号事件は、米国史上情報分野での最大の失敗の一つであり、すべてに最悪の悪夢だった。米国防総省やホワイトハウスの誰も朝鮮で「プエブロ」号が拿捕なるとは想像もしていなかった。
米海軍の退役所長も「プエブロ」号事件について振り返りながら、米海軍の歴史の中で最も評判が悪い日が3回あった。その中の一つが、1968年1月23日の「プエブロ」号事件としている。あれば乾燥対決社にはっきり刻まれた「プエブロ」号事件は、どのような事件があったのか。
(以下こんなことがあったぜ文章/小説と思って読むべし

1968年には、その年は、私たちの人民にとって共和国創建20周年を迎える意義深い年であった。新年早々てきた国は共和国創建記念日を、より高い労働力適性とで迎えるための創造と建設の熱気で沸い広がった。
東海漁場も同じだった。時は真冬のスケトウダラ漁鉄なので多くの魚船が海を縫っていた。違反よいしょ楽しくネットを引き上げる語ボールの顔にも、マストになびく大漁の旗にも創造と労働の価値が精一杯あふれる確かに平和な海であった。しかし、その平和の中にいくつかの巨大なサビョンジョクなことがガリウォジョかを知っている人は多くなかった。
1月21日、通常の勤務実行中にあった人民軍の海兵隊員が金策沖の肉船の中で正体不明の船の板を発見しました。何の国籍マークもなく、無数のアンテナだけ突き出ている奇妙な船であった。次の日、その船が原産沖に現れた。
1968年1月23日未明、その船を綿密に注視していた朝鮮人民軍海軍艦艇がリョンハ30℃を上り下り厳しい寒さの中で野生の波をはね返し目標に向かって突進した。そして、遅滞なく、国籍を明らかにするように要求した。
相手側ぐずぐず時間を集めまったく応答しなかった。
韓国側は、すぐに国籍を明らかにせよ信号を再度送った。
すると正体不明の船は、私たちは水路測量船であるが、今の機関が故障だ機関を直して領海でいきので干渉しないように傲慢無礼に答えて出た。
私たち海兵は「2分以内に国籍を明らかになければ発砲する」と警告し、そちらに砲身を回して当て密接締めた。
人民軍の海兵隊員たちの断固とした措置に威圧された正体不明の船はようやく掲揚台に旗を浮かべてしまった。意外にも掲揚台に寄与上がったのは、米国奴らの凶悪な星条旗であった。
瞬間、私たち海兵たちの中で、「ミグクノムの倍だ!」、「私ヤンキーどもを丸ごと水に処ビート!」、「朝鮮人民の不倶戴天の敵、米帝侵略者消滅せよ!」は、怒りのウェチムが出てきた。
警備艦をはじめとする韓国海軍艦艇は一斉に突撃態勢に入った。
この時、指揮官は敵船を拿捕し、ボートに乗っ奴らを全部捕獲する大胆な決心をした。7人の構成員で決死が組織された。
彼らインホ、パク・ヨンギル、ゴビョン件、ギムジュンロク、パクテウォン、キム・ヒョンギ、バクギョンジュン同志があった。
決死隊員は偉大な首領様の肖像画を仰ぎ「首領様の懐で育った私たち一当百海兵たちは私の敵連中をことごとく打ち粉砕神聖な祖国の領海をしっかり守ります!」と燃える誓いをかわすた。
決死隊員が乗った魚雷艇が少ない船の約100m先までのアクセスした時だった。突然機関銃弾がビバルチよう飛んできた。急に右の敵がついに本性を表わして速度を上げて逃走しながらあがきな機関銃射撃を加えてきたのだ。
敵の機関銃射撃に対応して、私たち艦上フォーが複数の火を噴いた。敵武将スパイ船は瞬く間にハチの巣になってしまった。
時を逃さず決死隊隊員がいち早く奴らの船に飛び出した。彼らは船に上がった後の最初の行動で掲揚台で星条旗を下げウォー破れてしまって、私たち共和国の旗を上げた。そして4人の決死隊員がそれぞれ左右に指揮所に突入して艦長をひきつけて、GNOMEを使用して、残りの奴らもすべて捕獲した。船に乗っ人は皆83人だったが、その中ハンノムは従事過程ですでに死体がされて倒れていた。
このように、私たちの勇敢な人民軍海兵たちはわずか7人の人員で80人の敵を瞬時に制圧し、祖国の領海深く侵入してスパイ行為を敢行していた武装スパイ船を拿捕した。
私たちに逮捕された艦長をはじめとする船員の陳述によって拿捕された「プエブロ」号が米帝侵略軍の武装スパイ船というのが全世界に暴露された。
「プエブロ」号の拿捕、これは、新しい戦争挑発策動に狂奔する米帝の無分別な侵略策動を阻止し、私達共和国の安全と自主権を守るための正当な自衛的措置であり、犯罪的なスパイ行為を敢行した米帝に加えた相応の罰がであり調味対決社の長さ散りばめ刻まれるもう一つの勝利であった。
しかし、盗賊毎にかかる間隔で米帝はあえて原産の再山に作るとジュウェチョデミョ朝鮮東海に原子力空母「エンタープライズ」号を引き入れてグムシも侵略戦争の火をように夢中になる暴れた。
しかし、全世界が息を殺して見守っていた半世紀前の朝米対決戦はどのように防ぐネリョトドンガ。
その答えを、私たちは、今から40年前、「労働新聞」に掲載された記事で見つけてみようとする。
「...世界が今ニャジョゼニアし、朝鮮を見ているときに、米帝が再山に作るとした海岸時原産で、私たちは、胸にに燃える赤いネクタイを締めて隊伍もたくましくひ学校に行く子どもたちの力強い歌声を聞いたその原汶山駅では、息子の家に外出きた祖母を迎えた若いカップルの幸せにあふれた顔を見た。そして、平壌距離真ん中で新しい多層住宅建設に新しい区画を広げていくクレーンが夜も忘れたように長袖の大型部材を持ち上げていた。
いつ時刻に戦争が爆発する知らないリムジョン前夜に、どうしてこの地では、通常の日のように、子どもたちの歌声が響き一般旅客を乗せて列車が東海岸を汽笛騒がしくヒ走れるあっまた建設のような音、千里馬大進軍の足雲の音があまりも激しく鳴らすことができるか!
...
米帝が分別なく暴れているときに、私たち人民の偉大な領袖金日成同志が米帝の<報復>は報復的には、全面戦争には全面戦争に答えるときっぱり警告をすると、米帝奴らが声をあげれ一言ず、人民の前に膝を曲げであり汚れた第巣窟にコンムニをペドンその時の痛快た感じが、私たちの力に対して誇りにあふれたことが今でも鮮明である。... "
全世界を揺るがした米帝の武装スパイ船「プエブロ」号事件、朝鮮人民軍海軍の七勇士たちと80人余りの米帝侵略者との対決を通じて、私たちは再び心臓に削減することになる。
代を継いでチョンチュル位を高くリネンて昨日も今日も明日も勝利は私たち朝鮮のものであり敗北は、米帝の永遠の宿命であることを!
本社記者李南湖

​○ 英雄的朝鮮人民軍が一番である 01.23​
米帝の武装スパイ船「プエブロ」号が拿捕されたニュースは、世界に衝撃を与えと賞賛に沸いている住所にした。
ベトナムの新聞「人民」は1月25、いくつかの論評「米制度開発者は、朝鮮で現行犯で握られた」で朝鮮民主主義人民共和国領海に深く侵入した米帝侵略者の武装スパイ船を拿捕した朝鮮人民軍海軍を熱烈に祝うとしながら、朝鮮人民軍は、その前年に米帝のそそのかしを受けた「警護する56」号を撃沈させたのに続き、今回再び米制度開発者たちに厳しい懲罰を加えたと指摘した。
キューバと中国、カムボジャ、アルジェリア、レバノンのをはじめ、世界の多くの国の通信、新聞、放送も一斉に米帝の傲慢な強盗さながらの行為を糾弾しながら、朝鮮人民の自衛的措置を熱烈に支持した。
(中略)
カムボジャ新聞「ソチトール」も26の一部ロンソルで朝鮮沿海に武装スパイ船をかけて送信米帝の罪を暴露糾弾しながら恐怖に震えている米帝がもし戦争を挑発するなら比でなく、強大な国に転換された朝鮮の存在下での敗北を免れないが、朝鮮人民は米帝の侵略者が勝手にトビウオよう放っておかないだろうと警告した。
本社記者

​○ 降伏文書踏んで通り過ぎた道のり 01.23​
「...私たちは、単純な捕虜ではなく、偵察行為をして逮捕された現行犯であるため、私たちの運命がどんな最悪の場合に遭うも、何の言い訳もありえません。... "
今から50年前、「プエブロ」号の全船員が朝鮮民主主義人民共和国政府に寛大な処分を依頼して提出した降伏ソワも同じ共同謝罪文の一節である。​世界の "第1位"の軍事力がアメリカ合衆国の象徴とマウスピースだった米帝は、このようなみすぼらしい姿で英雄的朝鮮人民の前にひざまずいた。​
​勝利者は堂々と受け敗者はひざまずい捧げなければならすることが降伏ソイダ。​
米国から降伏文書受けあげるは、私たちの伝統であり、​私​たちに降伏文書捧げるだけしたのは、米国の伝統である。相反するこの二つの伝統は、常に法則のように流れてきた。​​​
(中略)
今から5海戦超精密無人タギョクギの対象物の打撃と低空でレスプする "敵"巡航ミサイルを消滅する強行試験ロケット射撃訓練を指導し、敬愛する最高指導者同志は今こそしていたとき過ぎ、もうすぐにでも戦いが進むにつれて敵を事情を見ていないこね捨てろ、降伏書に印鑑を撮る奴もなく全部一掃ときっぱりおっしゃった。
降伏書に印鑑を撮る奴もなく全部一掃捨てろ。
米帝がわが軍隊と人民の前にささげた降伏書においてピジョルは教訓を気付かずついに侵略戦争の道を選んなら敵のすべての本拠地が滅亡の最後の墓になるだろう。
米帝の降伏立つ永遠に私たちの足元にある。

​​○ 戦利品の前で 01.23​​
(エッセイ)
(前略)
世界の多くの国の領海を勝手に出入りして偵察行為をしていた第奴らの武装スパイ船が、私たちの祖国の領海で人民軍海軍によって拿捕され、東海の海岸に鼻を通し、これになると、米帝は火右山犬のように暴れた。すぐに原産の爆撃したい、報復したい、再び戦争を起こしたいと...
しかし、米帝の暴言に驚いたのは朝鮮人民がなかった。
多くの国で党と政府の特使をつてつて派遣して、私たちに早急に米国に謝罪しろ、正謝罪をできないなら「プエブロ」号だけでも戻ることがオトトゲトヌン行き、「勧告」し、後には事情た。
しかし、私たちは少しも退かなかった。
謝罪はなく、挑発者であり、侵略者である米国がなければならない、謝罪をしたとしても、「プエブロ」号だけは絶対に返し送ることはないが、金日成同志と偉大な将軍様の確固たる意志であり、それはそのまま私たち人民の革命獲得場であった。
(中略)
昨年の朝鮮人民は国家核武力完成の見事な成果を収めた。そうなるまでの歩みはまたどのよう苛烈すさまじい返済大決戦の連中がだったのか。
私たちは一歩一歩の強力な主体弾を打ち上げるたびに米帝とその追従勢力は、狂ったように暴れて不謹慎な制裁と圧力騒動に縛られては違ってた。
そんなと朝鮮人民がビクやはいつか。
国の核武力の強化に私たちの国の自主権と生存権を守り、国の剛性繁栄のための担保があるので、私たちは、核力を中枢とする自衛的国防力を絶えず強化していった。
してついに米本土全域を私たちの核打撃射程圏の中に追い込む民族史的出来事、大勝利を収めあろしまった。
そうだ。
私たちの祖国が歩んできた道はよく道であり、朝鮮人民が成し遂げたすべての勝利は、わが党の多くの政治の勝利である。
確かに胸胸がいっぱいである。
人がこの世に生まれて自主的人間として、自主的人民に生きることは、どのよう大きな名誉であり幸せなのか。
長年人類が熱望してきた偉大な大国の主人としての誇り高い人生を享受していく朝鮮人民は、この世界の果てまで、多くの場合一路のみ進むだろう。
多くの場合、私たちの生活であり、尊厳であり、勝利である!
反米対決戦の戦利品、「プエブロ」号の前で、私はこのような歴史のエコーを聞いた。
本社記者ホミョンスク

​○ 千万軍民の高騰報復意志の発現 01.23​
219万人の人民軍軍人は、各階層の勤労者、青少年学生米帝の武装スパイ船「プエブロ」号を参観
私たちの革命的武装力によって米帝の武装スパイ船「プエブロ」号が拿捕されたときから、いつの間にか半世紀が流れた。
今から50年前の主体57(1968)年1月23日私たちの勇敢な人民軍海兵たちは神聖な私たち領海に貢献た米帝の武装スパイ船を拿捕することにより、侵略者を使えば許さないことを世界の前に注意深く見せこれで米帝は朝鮮戦争のように再び私たち人民の前にひざまずかなければならなかった。侵略の元凶米帝の罪を満天下に告発する証拠となっている米帝の武装スパイ船「プエブロ」号を去る期間219万人の人民軍軍人と各階層の勤労者、青少年学生が参観した。
これは金日成民族、金正日朝鮮の誇らしい勝利の伝統を敬愛する最高指導者、金正恩同志の指導のもとに代を継いで輝かし、不倶戴天の敵、米帝を無慈悲に懲罰するであろ千万軍民の高騰報復意志の現れである。
敬愛する最高指導者、金正恩同志は、次のようにおっしゃった。
「前世紀50年代から今日まで、私たちからドゥェンメを迎えて溶け出し万したの米帝の評判が悪い伝統なら肥大力を信じソルチョデは、米国をことごとく痛快にジョクチョ大器晩成したのは英雄朝鮮の誇り伝統です。 "
武装スパイ船「プエブロ」号は、​過去19世紀中頃から絶えず敢行された私たちの国の米帝の侵略行為の直接的産物であり、反米対決戦でのアメリカの評判が悪い惨敗と朝鮮の永遠の勝利を示す戦利品​だ。
参観者は、わずか14分で敵の武装スパイ船を拿捕した海兵隊員たちの痛快バトル塀を通じて敵の戦争挑発策動を超強硬対応でもなく粉砕捨て、米帝の降伏文書受けた歴史の日々を思い出していた。
拿捕された「プエブロ」号の船員たちのみすぼらしい姿と今のホワイトペーパーを書いて謝罪文に小切手の写真をはじめ、奴らの敗北賞を示す写真資料は侵略者、挑発者に順番れそうは評判が悪い惨敗と破局終末だけというものをそのまま実証している。
私たちの領海に貢献入っスパイ行為を敢行した敵の罪を暴露する航海支援各種基材に、武器庫と情報総合室、変身室、12.7mm大邱軽機関銃に、高性能アンテナをはじめ​​武装装備と偵察設備を振り返って参観者は、米帝に対する憎悪と敵意、報復を展開に胸煮込みであった。
参観者は、希代のチョンチュル名将を革命の陣頭に仕え返済反米対決戦で達成した偉大な勝利の歴史と伝統は、昨日も今日も永遠主体朝鮮の象徴として、祖国の繁栄の高貴な財宝に光を分散させ、ことを確信していた。
一方、私たちの国を訪問したキューバ革命武力代表団長、シリア内務省負傷、パキスタン主体研究会代表団団長、イラン朝鮮親善の生地委員長、ベトナム人民軍高位政治活動の代表団団長、ブラジル主体思想研究青年代表団団長をはじめ多くの外国の友と海外同胞も武装スパイ船「プエブロ」号を見て回った。
彼らは一様に「朝鮮半島の平和と安定を厳重に脅す米国の犯罪行為 "、"米帝の侵略性と狡猾さを暴露する歴史的証拠」としながら、米帝の破廉恥な侵略行為を糾弾した。
人民軍軍人と各階層の勤労者、青少年学生は、敬愛する最高指導者、金正恩同志の指導のもとに返済反米対決戦の最後の勝利に向けて力強く戦っていくゆるぎない信念と意志をさらに固めた。
【朝鮮中央通信】

​○ 敗北は、米帝の宿命 01.23
ここで乾燥大決戦で、私たちの連ジョンリョン勝、アメリカの連ジョンリョン牌異なり不能な歴史の真実であることを示して一つの証拠がある。
「...これまた、米国政府は、朝鮮民主主義人民共和国側によって没収された米国船<プエブロ>号の前の乗組員は、自分たちの罪を告白して寛容性を施し与えるために、朝鮮民主主義人民共和国政府に請願した事実を考慮して、これらの乗組員を容認処分してくれるの朝鮮民主主義人民共和国政府に熱心に要求している次第です。」
これは、朝鮮人民軍海軍艦艇によって拿捕された武装スパイ船「プエブロ」号の船員を容認処分してくれることを切に要請し、米国が我々に捧げた謝罪文の一節である。
「プエブロ」号が拿捕されたとき、米国は「この船は、米国の公民戦争以来、海で拉致された最初の船である。報復しなければならない。」と唱えてものすごい侵略武力を動員して事態を戦争の瀬戸際に追い込んだ。
しかし、終わる私たちに降伏してしまった。
「電力私的期間を通じて謝罪ハルジュルしれない。」としながら、私たちに謝罪文を要求していた米国が世界の前で敗者のみすぼらしい姿で謝罪文を捧げなければいけないだったのだ。しまいにたら当時の米国大統領ジョンソンも「米国が生じ歴史に残した謝罪文は、これだけ一つ」と嘆いましだろうか。
1950年代の朝鮮戦争当時、「国連軍」司令官だったクラークは、停電協定文件にチェックしてから、自分は「史上勝利できず、停戦協定に調印した最初の米軍司令官という栄誉高騰なかった名前を持つようになった。」と語ったおそらくクラークは、自分が不名誉なアメリカ人として最初で最後になることをバー欲だ。
しかし、歴史は「プエブロ」号事件後も英雄的朝鮮人民の勝利を、アメリカの敗北を自分のしおりしおりに漏れた。
朝鮮が勝利し、米帝が敗れることオギルスない伝統である!
この真理を忘れて再び襲い掛かる面米国という陸地が丸ごと私たちの戦利品としてであろう。
本社記者シン・チョル

​○ 「プエブロ」号事件の歴史的真実 01.23​
昨年11月に好戦トランプは南朝鮮を行脚する期間恥知らずな嘘と極悪非道な暴言を仕事しつつ、わが共和国の体質的な拒否感と骨のまで入っチャン敵意を露骨に表わした。
彼は私たちの国が歴史的にとってきた正当な自衛的措置を途方もなくかけながら北が米国と南朝鮮をすることができず、「攻撃」し「プエブロ」号をつかまえたと孤児挙げた。
そのみすぼらしい姿はまるで「プエブロ」号が拿捕された後、盗賊毎にかかる格に事実を歪曲し、狂犬のように私プレー半世紀前、米国執権者のみすぼらしい姿を連想した。
しかし、米国がいくら敗戦の歴史を指し懸念といっても、真実は示し泣けない。
米帝の武装スパイ船「プエブロ」号は、1967年12月基地を出港した後、私たち共和国の年に深く侵入して韓国側の軍事対象物に対する監視と諜報活動を敢行している途中、1968年1月23日元山沖で朝鮮人民軍の海兵隊員に拿捕された。
事件が発生し、米国は「北朝鮮の非人道的な蛮行」と騒いで当てながら「北朝鮮は国際法も知らないパリョムチボム」と事実を誤解した。
しかし、「プエブロ」号艦長が告白したようにスパイ船が拿捕されたポイントは、北緯39゜17.4'、東経127゜46.9'こと明らか共和国した。
「プエブロ」号は、米中央情報局から直接派遣した武装スパイ船として、そこには、電波をキャッチ持って他国の軍事基地の位置を調べる非常に精密で、近代的な偵察設備が設置されていた。船員が持っていた地図には、私たちの国の軍事基地の位置が表示されており、船の位置、毎日記録は1967年12月上部の命令を受けて、日本の佐世保港を離れて共和国の年に何回も侵入してスパイ行為をしたことが詳細に書かれていた。
だけでなく、「プエブロ」号の不法侵入の目的にも、米中央情報局が密かに作成し、米国の大統領が承認した「ピンクのルート」作戦(私たちの国と中国、ソ連のスパイ行為を目的とした極秘作戦)を執行するためのにあった。
それにもかかわらず、当時の大統領だったジョンソンをはじめとする米執権勢力は「報復しなければならない。」とか、「棒を振り回してでも<プエブロ>号を奪って来なければならない。」とかいってながら空母「エンタープライズ」号をはじめとする起動打撃集団を朝鮮東海に出動させるなどの情勢を先鋭な戦争接するのに追い込んだ。建て「プエブロ」号を返さない場合、核兵器の使用も辞さないと私たち共和国を威嚇して出た。
しかし、「<報復>は報復的には、全面戦争には全面戦争に」という私たちの軍隊と人民の超強硬意志の前にたじろぐした米国はどうはできず、一歩退かなければならなかった。
そして世界的な懸念を呼び起こした「プエブロ」号事件は、発生して11ヶ月が経過した後、米国が共和国し侵犯事実を公式に認めて謝罪文に署名することにより、私たちの勝利に終わった。

​○ 朝鮮の勝利は真理、アメリカの滅亡は必然 01.23​
「拿捕された<プエブロ>号の船員たちは皆、両手を点滅もたげ北朝鮮の地を歩いた。」
今から50年前な外信が伝えたこの一言の文は、世界に大きな衝撃を与えた。
当時、「プエブロ」号事件で朝鮮半島に造成された厳重な情勢は、世界の人々の大きな懸念を醸し出し常であった。
米国は彼らの偵察行為について認めて謝罪する代わりに、破廉恥にも「北朝鮮が公海上にあった<プエブロ>号を拿捕した。」との事実を誤解して私たちの国のそのどのような "報復"を云々した。しかし、「<報復>は報復的には、全面戦争には全面戦争に」という私たちの国の超強硬対応立場が発表されると、米国は自らの犯罪行為に対して認めて謝罪しなければならなかった。
世界は英雄的朝鮮人民の前に再び膝を屈した米国の悲惨なみすぼらしい姿をはっきり見た。
元米大統領アイゼンハワーは「プエブロ」号事件が起きた1968年を指し、米国において最も厳しいたしろと評した。
であれば、それから半世紀が過ぎ、今年は米国におけるどれほど厳しい年となるのか。
これに対して、​世界の少なからぬメディアは「2018年は、朝鮮における勝利の年、アメリカにおける悪夢の年」になると評している​
今日、我々共和国は、世界的な核発電所、ロケット大国にそびえた。それして、数十年間続いされてきた朝米間の力の構図は完全に変わった。昨日の日には、米国が我々を核で威嚇恐喝したが、今は私たちが米国を定義の核に圧迫している。これ立証するように初めから米国内で起きている私たちの弾道ロケットの恐怖風は、世界の人々の嘲笑を醸し出しており、それは、米国の立場がどのようガグン空転的ララに示している。
過ぎた調味対決歴史が証明するように、この朝鮮の勝利は真理であり、米国の滅亡は必然である。
米国がこれを忘れて、私たち共和国に反対する侵略戦争策動に引き続き狂奔なら "プエブロ"号恥ずべき運命を免れないようになるであり、種党は滅亡するであろう。
(以下​写真​)

​○ 戦利品の処分権限は勝利者にある 01.23​​​​​​​​​​​

戦利品の処分権限は勝利者にある
今日、米国では「プエブロ」号を見つけて来なければならないという低い鬼のような音がするとせずにスライドし出てきている。
(中略)
強いて私たちは「プエブロ」号が敢行したスパイ行為を具体的にか明らかにする必要を感じない。これは、この事件が米国で最大の数値をもたらした厳然たる歴史の事実の記録で永遠に残るものだからである。
(中略)
歳月は流れても歴史は絶対に異なり不能なものだ。
私たちの戦利品である「プエブロ」号の処分の権限は、勝利者である私たちにできる。
米帝は数値と敗北の歴史を覆い隠すための「プエブロ」号送還に熱を上げる前に、朝鮮人民に犯した巨大な罪科について深く反省して自白すべきであり、自らの過ちを感じることを知っている人間の初歩的な道理から学ばなければならあろう。




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うんざりしました。
でも今日は日本罵倒記事もなかったか。勝利記念日ってことですかー





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最終更新日  2018.01.23 15:57:29
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