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2018.04.07
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カテゴリ:調べもの
​​​科研費のもんだいについてちと。

ワタシが大学院に行くちょっと前、行こうと思った一つのきっかけとなった出来事。
死者に鞭打つということは自覚の上で。
この本に無茶苦茶抗議したくなったということがあるんだな。

菅聡子/女が国家を裏切るとき https://amzn.to/2JsI394

ワタシは当時吉屋信子をコンプリートしようとともかく版の違う奴もところ構わず蒐集していたんだな。で、彼女に関する研究本も。その中の一冊なんだけど。今なら「岩波」で「2000円くらいのハードカバー」ってことで、「推してるよな」とわかるんだけど、当時は「買いやすい」程度。

でまあ「あ、やっぱり戦争責任関係かー」とうんざりしたわけだ。まあ、女たちの戦争責任 https://amzn.to/2GGdbjK  の論調ほどではないにせよ、文学(そもそも大衆文学そのものが文学としてあまり扱われていなかったという見方にいらつくことが多かったんだけど)に責任というのに?だった。

吉屋信子ってのは、……まあ後でちゃんと全体的に見て自分なりの結論の中では、あれこれ言いたいことはあるんだけど、ともかくエンタテイメントという点では、非常に優れた人だったわけだ。だがしかし文学研究という中ではいつも下に見られてきた。そら小説の方法が違うんだから。

今だったら、所謂文学作品って奴と、コミックを同じ方法で評価しようとするからおかしくなる。それが戦前からずーっと「誰に対して書かれたか」という点が中心におかれて上下を決められてた感がある。まあそれにも怒りを感じて突き詰めたくなったんだが。研究書も少ないので何でも読んだ。

菅聡子氏の本もその一環で、しかもアマには買いやすい価格、「女の教室」を取り上げているという珍しさでありがたく読んだんだが、途中で首をひねったんだな。
「あれ、このひと朝日の全集しか読んでない」だ。

さてここからワタシの修士論文の前半分になった「再販本の検閲下修正」の問題がひっかかってくるんだが。
吉屋信子というひとの本はまじ売れたんだよ当時。戦前戦後かけて。つか昭和40年代までは。「大奥」ブームの始まりもこのひとだ。問題は戦前本の戦後再販本だった。

「女の教室」というのは、昭和14年に東京日日・大阪毎日で連載された小説だ。女子医学専門学校の同じグループに所属する七人の女性が、南京陥落に至るまでの時期、どうそれぞれ生きていくか、という話。「学校の巻」「人生の巻」「戦争の巻」の三部構成になってる。

医専の時代、それから支那事変までの時代、そこから南京陥落までの時代。
だから当時の人々に「受け入れられ易い意見」と「ちょっと先行した意見」が交差して入っているわけだ。毎日読まれることを目的としたエンタテイメントなんだから。当時ありがちなことや意見が普通に入ってる。

そう、「当時としちゃ普通」の言葉に満ちてるわけよ。この人の文章とか考え方のクセがあるのは否めないけど、それでもキャラクター分けができている分、ちゃんと「あああるある」と、誰かしら読者が共感できるキャラがいるようにできてるわけだ。ただ共通しているのは戦時体制の中ということ。

で、このひとは18年までは主婦之友と新聞で連載も書いてた。19年には少年向け小説と戦線文庫とかでも書いてた。20年にも一応短編依頼受けて書いてもいた。(雑誌そのものが出なかったので、載せたのは戦後だったけど)つまりは何だかんだと人気があった。

で、戦後。20年12月にはもう再版物が出てくるわけだ。まだ表紙ボール紙が出せない時期からだ。活字に皆飢えていた。紙の悪い本でも「全集」とか売れまくった。……のだが。
この時にGHQの検閲が関係する。
あかんとこがカット/書き換えされるわけだ。

北光書房というとこが24巻本を出したんだけど、まあここは先に手をつけたのか何なのか、「安全な」あたりを選んで出してるから文章の変更はあまりなかった記憶。だがしかし、それ以外のとこが出したものの中には、やはりあった。
無論出せないものもあった。「女の教室」はすれすれ。

さてそこで「女の教室」は、思いっきり書き換えと削除された形で出版されるわけだ。先に三部構成と書いたけど、その最後の「戦争の巻」全カット。
それに加えて二部までのあかんとこカット。つながるように文章書き換えがこれでもかとばかりにされた。誰の意思かは判らない。

例えばこの第二部のとこで、通州事件の件があるんだが。
左が昭和14年。右が昭和22年だ。
アミカケ部分をカットすると、全体の発言の意味合いが変わってくるのがおわかりだろうか?
14年の場合は「ナショナリズムは必然」22年の場合は「中国と友好」傾向になってる。支那も中国に。

彼女の本はことごとく支那は中国となり、軍隊ラッパに郷愁と愛国心がかきたてられる場面はカットされ、遊就館の描写は全カットされた。「拓殖大学」(この時代ちょうどその名前で無くされた)はどこか別の大学になった。本当に細かく!

さて時は流れて、彼女は朝日と和解し(これも色々あるんだが)、徳川の夫人たちでブームも巻き起こし、その後お亡くなりに。そして死後に朝日新聞出版から「全集」が出るわけだ。
全くもって全集なんてものではない全集がな。
ワタシが怒り狂ったのがこの全集だった。

正直、これを「傑作集」「代表作集」とでもしておけばよかったわけだ。ところが「全集」としてしまった。なのに年表とか出しておくから、こっちに研究されるスキができてしまったんだが。というか出した千代さんにその意図があったのかわからないけど。ともかく全然「全」ではない。

さて、その「全集」に「女の教室」も収録された。―――のだが。
……昭和30年代に再び出たんだな。映画のせいかもしれんが。もう時代も独立後だったので、22年にカットされた戦争の巻も入っていた。
ただ、その前の一部二部が、文章カットの22年のままだった。
ここでおかしくなってくる。

22年の書き換え版では、戦争反対的なムードになっているわけだ。
ところが30年代では、14年のままの第三部が接木された状態になっていた。仮名遣い以外全く変更はなかった。違和感しきりだな。その形で単行本になった。
……んで、その最後の単行本が全集の底本になったわけだ。

さてそこで冒頭の菅聡子氏に戻る。
「女が~」で語られる「女の教室」について使われたのは「朝日の全集」なんだな。
なのに、先ほど出した通州事件あたりの記述も、文章の中で使われている。
ちなみにこの論文は「戦争責任」のことを言ってるんだが。
22年の文章で言えるか?

つまり、氏は「朝日」版を使ったことで根本的に間違えてしまっているわけだ。
14年の新聞初出か、単行本を使えば全く違う見解になったと思われるけど、朝日の全集ではあかんだろ、と。
さてそこで疑問がある。「何で大学の教授がこの程度のこともわからないんだ」と。

ちなみにこの本は
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-19520140/ …
この研究の一環から出されてる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ 菅聡子 によるとお茶の水の教授でもあった。
残念ながら、ワタシが気付いたときには故人だった。若かったのに。
でもだから、言わないとあかんと思ったんだと思う。

大学の教授が出す論文でも、戦争に関わる言説を研究していたとしても、そこまで作品を遡ることをしない、基礎研究ができていない、もしくは「気付いていない」ということに、もの凄い怒りを感じたんだな。
だって考えてみい。気付いたのはまだ素人の、マニアのワシだぜ。

素人で、大系だった研究するための場所もなくて、ただこつこつ本を自費で蒐集していただけの奴に気付けてしまった程度のことだぜ?
そいつにミスを指摘されるってどういうことだ?と思ったわけだ。
「当時はそういう書き換えもあったね」じゃねえの。「あった」ことを問題にしろや。

それに時代性を無視していた。その人を使って歴史や社会上で何か語るって言うなら、文学の何とやら以上に周囲の歴史的文化的状況をきちんと把握するのが研究っーものじゃないんかい。
というのはまだ頭の中で明確になってなかったけど、ともかくそれ+図書館で見たGHQ検閲の本で開眼したわ。

そんで大学では大学で、日本文学科では「読み方」のサンプルを示される。まあサンブルでもいいんだけど、ジェンダーと戦争があたりまえのように一つの方法論として示されてしまっているんだよな。テキスト論と並んで。これ違うだろ、と今では思うんだけど。まあいい。

で、この方のこの件についての科研費に関しては、年間60万くらい。
まあ山口某のそれとはまるでケタが違うし、まあこんなものだろ、とは思うけど……羨ましくはあるわな。月5万くらいの特別収入、という感じかな。東京で動く人なら研究も安くあがる。地方よりは!

だが結果がアレだということ、それでいてその業界で高く評価されていたことに関しては、微妙な気分になるわけだ。教わって、それに続く人々はどうだ?この程度の資料を見てりゃいい、ということを覚えはしないか?朝日の名を信頼しきっていなかったか?
本当にご存命だったら、と腹が立つ。

まあともかく、おそらくはゼミ運営費用と書物の購入程度にしかならなかったろう、この科研費に関しては、結果を抜きにすれば、割合妥当な線だと思うのだわ。
実際出した結果はこれらの文章でしかなかったわけだし。
だからこそ山口某とかの費用はおかしいんだけど。

それにしても本当にご存命だったら殴りこみに行ってどう思うのか問いただしたいとこだった。
と同時に、そういう土台研究に当時目が向けられていなかったことにどれだけ怒りを感じたか!
まあ今は遠ざかってしまったんだけど、ここで素人が「教授」にも疑念を向けられたのは有意義だった。​​​

*なお比較画像がツイよりたくさんあるのでとりゃず載せてみる。



































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最終更新日  2018.04.07 12:25:22
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