あの大震災から9年、あの悲惨な状況を思い浮かべながら「ゆりあげ」へ・・・
津波に襲われ壊滅状態となった名取市閖上、港に栄えた街は跡形もなく土台だけに、何か所もの海水のたまり場が出来流された車や船・・・一面がれきで埋め尽くされた光景に言葉が出ませんでした。 あれから9年、すっかり変貌しその傷跡を目にすることはほとんどできない状況に。 かさ上げし新しい安全な「ゆりあげ」の街づくりを、復興集合住宅の完成が急がれ並行して一戸建て復興住宅や一般住宅の建設が。学校に公民館などが完成し、昨年4月には待望の商業施設「かわまちてらす閖上」(魚介類に地場産の食材や食事を提供:30店舗ほどが営業)が完成し弾みを。 これからとしては、大型店舗の誘致が決まりサイクルスポーツセンターやトレイルセンター、ゆりあげ温泉などが進行中。むかしの「ゆりあげ」・・・街としてのイメージの定着、賑わいを、一歩一歩の力強い歩みを応援したい。(閖上の様子は本ブログで何度か紹介しています。最近は2018/11/24、2019/3/22) 気になるコロナ感染、最初の発生場所とされる中国武漢での新しい感染者は18日から3日間発生してない(武漢の医師に信頼できないとの主張も)との報道である。人口1100万ほどの大都会を封鎖した、中国ならではの英断が封じ込めたものと。医療の進んでない国々にも感染拡大が・・・治療薬の発見が終息の決め手???今はうつらないうつさない対策を実直に、と思うばかりである。 整備されたメモリアル公園。 東日本大震災の犠牲となられた方々を追悼する場として。 震災の記憶と教訓を多くの人々に語り継いでいく公園、日常的に人々が集い憩える公園、そして公園を利用する全ての人々が「人・記憶・想い」などにより、未来へとつながる空間となることを念願して整備された。と。 日和山 日和山から、祈りの広場・朝市方向。 日和山から、閖上港(内海の広浦)方向。その向こうが外海に。 公園の一角に地場ビール醸造所です。 日和山から、水産加工団地方向。 日和山から、かさ上げされた居住地方向。堤防の整備された貞山堀の西側がそれにあたります。 閖上港朝市南側から広浦の内海と防潮堤。 大型店舗建設予定地周辺。(今年7月開店予定の情報であったが、更地です。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.03.24 15:26:04
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