成瀬関次著『臨戦刀術』 - 紅槍匪 247-252頁
四月の十八日附で再び徐州の線に派遣を命ぜられ、十九日に北京出発、途中で濟南に一泊して、封戦砲兵廟で、紅槍匪が遺棄していった槍と大刀の押収品とを見せてもらった。 槍の穂先は約七寸から九寸、身幅は一寸二、三分、丸みのある剣型のもので、元のところに棒形のものが左右に出て、その先を内側に巻き込んである。鉄性は鈍重で、柄は九尺から一丈ぐらい、木皮をはいだ自然木である。折れぬためと、柄の表面のささくれの出来るのを防ぐためとであろう。 槍のけらくびの所に、麻製のふさがついている。それは、血のこびりついたような赤黒い色で、それが処女の汚血で染めたものである事はすでに述べた。 大刀は俗にいう青龍刀で、これも大小各種、大なるものは元身幅で二寸弱、先っぽは二寸五分にも及び、総長二尺八寸から三尺ぐらいのものもあり、通常は二尺五、六寸で刃渡り一尺七、八寸、目方は二百五、六十匁から三、四百匁にも余り、さらにこれに三尺ぐらいの柄のついた、日本の昔の長巻のような恰好をしたものもあった。 刃は特有の丸っ刃で、焼きはすこぶる甘く、これで物が切れるのかと思われる程であるが、支那人にいわせると、馘首〔かくしゅ〕百人一つも過〔あやま〕たずだから驚く。つまり刀の自重で叩っ切るのである。 この槍の身や大刀には、洋数字で番号の入ったものが多く、38629 というような長い番号で、いかに数多きかを誇示してある。 さらにこの槍や大刀の柄のところまたは刀身に、 天 門 會 自 衞 靠 天 吃 飯 和 郷 愛 國 守 約 赴 義 等々の文字が、彫刻や鏨彫りで現わされていたり、その中に青や朱の色が施してあったりして、見事なものも少なくないが、多くは、鈍重な人切り道具、といった感じのものばかりである。 五月五日の端午の節句は、嶧縣の小林部隊にいた。ここの部隊本部は、当地随一の豪家で、独立した図書室をもっていた。私は部隊長や某軍医大尉と共に、この図書館で何冊かの稀書を閲覧した。その中に、待望の紅槍會等の内容を調査して秘密に出版したらしい小冊子を発見し、躍り上がって喜んだ。ロール半紙のような紙に石版刷りとした菊半截二十枚ほどのもので、表紙はちぎれていたが、珍しく古文で記されてあった為に、容易に判読する事が出来た。 白蓮會 天理教、八卦教、白羽會、在裡教等に分れ、香を焚き祈祷をなし、 符咒治病に専らにして、今は直接教匪に関係ないものが多い。 然れども、多数教匪を生んだ母体であるから、精神的には関連をもっている。 大刀會 縣を中心として組織され、これを「郷」と称し、郷常備六百二十五人、 村には大小によって「社」「隊」と称するものがあり、 社は常時百二十五人、隊は二十五人、ともに五人を伍として単位とする。 大刀(青龍刀、剣)一人一刀、銃器は有すると有せざるとは任意とし、 各自購入備えつける。紅布及び 「保護閭閻〔ほご りょえん〕」の四文字を以て標識とする。 紅槍匪 組織は大刀會と全く同じ。但し河南省は内部を文武の二系統とする。 長槍一人一本、銃器は拳銃を用い自己の支辨(※弁)を以てこれを携う。 紅総及び「義重郷里」「和郷愛國」の文字を標識する。 黒槍會 組織機能は紅槍會に同じ。 長槍各一人一本、黒総及び「信義奉公」の文字を標識とする。 黄紗會 大刀または長槍を持つ。黄色の総、及び「靠天吃飯」の文字を標識とする。 天門會 小黄色旗に「天門會自衞」と書いたものを携行するほか、紅槍會に同じ。 右諸會の公約 孝行敬老、和郷愛國、保護閭閻、信義奉公、義重郷里、守約赴義、上命服従。 目的 軍閥土匪侵略者の芟除反抗、悪税苛損の拒否、貪官無頼漢の刑罰。 會員資格 十八歳以上家居を有する正当職業者の子弟、入会金一元と共に誓書を呈出する。 訓練 教練、武術、焚香、念咒、軍事、政治。 大体右のような記述であるが、この通り実行されているものか否か、それはすこぶる疑問である。ただし一旦事があれば、相集って郷土を守り、外敵侵略のために戦い、事なければ各その業に安んずるというのが本体であり、それだけに、堅実な農工社会が中心となっている事は、従来の支那政府軍が、多くは無頼漢苦力浮浪者などの狩り集めであったのとは異なっているといえばいえる。 仏教の五大説から出たのが、五の数をもって神秘の単位とし、5人を伍、25人を隊、125人を社、625を郷、3,125人を亭、15,625人を郡、78,125人を路とし、これを一軍と定め、順次五を乗じて鎭、都、方と称し、方は9,765,625人で一省乃二、三省にあたり、48,828,125人を統として、これが領地なき国家、見えざる王国の総守備軍としてある。統長は五人の方長の互選になり、それには幾多の秘密条項があって、その組織が、政治に失望している生産階級自治の血管網に入り交じって、それを保護する神経網となり、敏感に働くように出来ているが、古い歴史をもっているのと、支那人の性格が、こうした秘密結社的活動に適している為とで、形式的な条件の具備せぬ割合に、侮れない勢力となっているのが看過出来ない。