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カテゴリ:遠き波音
吉祥の裳着の式で、多聞丸のことを大そう気にいった中務大輔は、屋敷へ度々多聞丸を招くようになった。そればかりか、隣同士を隔てている築地塀に小さな木戸を作り、いつでもこちらへやってきて、屋敷や庭で遊んでも良いと言ってくれたのである。
中務大輔の家では、多聞丸はいつも大歓迎された。息子のいない中務大輔とその北の方は、多聞丸を大そう可愛がり、吉祥も時折出て来ては、優しく話し掛けたり双六や貝合せで遊んでくれたりする。 多聞丸の方も、母は亡くなり父も多忙で、中年の乳母と数人の面白くもない古女房しかいない自分の屋敷にいるよりは、この中務大輔の家にいる方がずっと楽しかった。それで、毎日のように庭の木戸をくぐり抜けては、隣家に入り浸っていたのである。 思えば、多聞丸にとってあの幼い日々が、自分の人生で最も輝かしく美しい時代であった。 何の屈託もなく、朝から晩まで疲れ果てるまで遊び、ただ可愛らしい幼い男の子として皆に愛される。 そして何より、大好きな吉祥といつでも会える喜び。 吉祥に会うたび、多聞丸は吉祥にまとわりつき、決してその側を離れようとしなかった。そして、賞賛と憧れを込めた瞳で見上げながら、いつもこう言ったものだ。 吉祥のお姉様はこの世で一番お美しい。それに、高貴で、心も優しくて……まるで本物の天女様のようだ。 吉祥の方も、そんな多聞丸を可愛く思ってくれていたのだろう。吉祥は多聞丸がそう言うと、少し面はゆげに頬を染めながら、それでもにっこりと微笑み返してくれた。 あの吉祥の笑顔。 その麗しい幻影は、幸せという言葉と結びついて、今も多聞丸の心へ刻印のように焼き付けられている。 ↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m ↓こちらが、貝合わせのお道具。一つのハマグリの殻を二つにわけて、それぞれに同じ図柄を描いてあります。遊び方は、要はトランプの神経衰弱と同じ。裏を向けて伏せた貝をひっくり返して、同じ図柄を当てれば良いというわけです。使わない時は、後ろの二つの黒い桶に入れられています。一つの貝を分けているので、ぴったりと合わさる貝はただひと組だけ…ということから、夫婦和合の象徴とされ、近世まで大名家のお嫁入り道具などによく見受けられました。その場合は、貝桶は蒔絵などのもっと豪華な装飾が施されていたようです。(徳川美術館にある初音の調度などは、金きらの蒔絵で超豪華!) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年10月16日 16時07分21秒
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