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カテゴリ:遠き波音
だが、そんな幸福な日々も、わずか四年ほどで終わりが訪れた。
ある寒い冬の朝のこと、いつものように木戸を抜けて、隣家の簀子(すのこ)に上がろうとした多聞丸は、寝殿の奥から聞こえてくる低い声に驚いて立ち止まった。中務大輔とは違う、若やいだ男の声だ。 多聞丸が下ろされた御簾の向こうを透かして見ていると、やがて奥の間から暗い人影が現れ、隅の妻戸(つまど)を開けて簀子に出てきた。こざっぱりとした濃縹の狩衣を身に纏(まと)った、大そう背の高い男である。 妻戸を閉じたその男は、簀子の上で固まっている多聞丸を見止めると少し驚いたようだったが、すぐににっこりと笑いかけてきた。その快活な笑顔に、多聞丸の方も見覚えがある。 それは、父の部下である兵衛佐だった。 この兵衛佐は、宮中の競馬節会などで度々喝采を浴びた評判の武人である。そればかりか、才気煥発で行動力もあり、上司である父の右兵衛督にも特に気に入られていた。それで、多聞丸の屋敷へも始終出入りしていたのである。 子ども好きの兵衛佐は、屋敷で多聞丸の姿を見かけると、いつも必ず声をかけてきた。大きな逞しい腕で抱き上げてくれたり、軽々と肩車をしてそこら中を駆け回ったりしてくれる。時間がある時は、庭先で馬に乗せてくれたり、弓の引き方や太刀の握り方を教えてくれることもあった。 その鮮やかな手綱捌(さば)きや武芸の腕。国中の兵を寄り集めても、きっと誰一人として敵いやしない。 多聞丸は兵衛佐の端正で男らしい顔を見上げながら、いつもこう思っていた。大きくなったら、こんな風になりたい、と。 いつしか、兵衛佐は多聞丸の憧れの人になっていたのである。 ↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m ↓当時の貴族のお屋敷は、こんな感じ。建物の一番外側にめぐらせてある手すりのついた板張りの部分が簀子。金の飾りのついたドアの部分が妻戸です。もっとも、この写真は現在の京都御所の一部。この物語の舞台となる中流貴族のお屋敷は、おそらくこんな綺麗な飾りのないもっと質素なものだったと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年10月21日 15時37分02秒
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