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カテゴリ:遠き波音
その間、多聞丸は自分の乳母から隣家の消息を聞いていた。乳母はおしゃべり好きの噂好きで、多聞丸が聞きたくなくても、何かと隣家の噂話をしたがったからである。
だが、それはあまり芳しいものではなかった。 まず、兵衛佐と吉祥が結婚した翌年、中務大輔がその頃都に流行った咳病にやられて亡くなった。病みついてからわずか三日での急死である。 何の覚悟も準備もしていなかった隣家では、主の死を嘆き哀しみ、大そう心細い有様であったらしい。それでも、中務大輔の北の方は気丈な人だったから、夫の葬儀もしっかりと執り行い、屋敷の差配も婿である兵衛佐の世話も怠りなく行ってきた。 しかし、その陰で人知れず無理を重ねていたせいであろうか。翌年には、その北の方まで病に臥すようになってしまったのである。 急に火が消えたようになった隣家では、召し使っていた女房や雑仕が、櫛の歯が欠けるように一人二人といなくなっていった。 狭いなりにきちんと整えられていた庭には雑草が生い茂り、野分で崩れた築地塀ももはや修繕されることはない。寝殿の軒先すら傾き、庇の間にまで風雨が忍び込むようになっても、どうすることもできなかった。 乳母の口からそれらを聞いた多聞丸は、懐かしい隣家の荒廃に胸が塞がれる思いだった。だが、まだ十歳を幾つか過ぎたばかりの童だった多聞丸にはなす術もない。 頼みの綱の父は、先帝が亡くなって御世が変わったため、その頃大そう多忙だった。その上、元々多聞丸の家も、血筋は良いがさほど裕福ではない。父は中務大輔の家を気にかけつつも、なかなか手が廻らないらしかった。 ↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年11月06日 16時04分08秒
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