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カテゴリ:遠き波音
父はようやく納得したように多聞丸へ向き直った。
「そうか、そなたは昔よく隣へ遊びに行っていたな。吉祥殿にもよく懐いていたものだった」 父は寝室の塗籠(ぬりごめ…注)に入って腰を下ろし、疲れたように脇息に寄りかかりながら言った。 「いかにも、兵衛佐はもはや中務大輔殿の屋敷には通っておらぬ」 「それはなぜでございます」 「なぜというて、男が婿に入るのは、妻の家から受ける様々な世話を期待してのことだ。私のように、親から受け継いだ財産のある者は良いがの。そうでない者は、妻の実家の世話にならねば暮らしが立ち行かぬ。兵衛佐は有能な男だが、受領の家の四男で、ほとんど財産など持っておらぬからな。それに、あの二人には子もない。無理もないことだが」 そこで父はまた眉をしかめた。 「だからといって、あれほど困窮しておる妻をそのままに捨て置いて、他の女の元へ通い始めるなど、あまりにも無情な振る舞い」 「本当に、他の家の婿になったのですか」 「そうだ。私もその噂を聞き、兵衛佐を呼び出して問い質した。私が中務大輔殿に、あの男を婿にどうかと勧めたのでな。亡き人に申し訳が立たぬと叱りつけたのだが」 「兵衛佐殿は何と」 「それが、これは吉祥殿が望んでのことだと言うのだ」 *注「塗籠」…寝殿造りの建物の一角に作られる、窓などの開口部が少ない部屋。物置や寝室などに使われることが多い。 ↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年11月12日 16時46分09秒
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