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カテゴリ:遠き波音
それに、多聞丸に一体何ができるだろう。
吉祥の生活の面倒をみてやれる力は、今の多聞丸にはなかった。元服こそしたとはいえ、多聞丸はまだ官位はなく、初出仕もしていない。依然として、父の庇護にある子どもと同じ境遇なのだ。 だからといって、父には吉祥のことを話したくなかった。 あれほど仲の良かった中務大輔の姫がこんなことになっていると知ったら、父はどれほど嘆き哀しむだろう。 病後の父の容態を慮って、乳母も何も口にしていないようだし、多聞丸も結局何も言うことはできなかった。 それに、遊女のような生活をしていることなど父に知られたら、あの誇り高い吉祥はきっと生きてはいけまい。それはたぶん、吉祥自身の父親である中務大輔に知られるのと同じくらい、辛く恥ずかしいことだろうから。 そうやって煩悶(はんもん)しながら、多聞丸は自分の胸の一番奥底に、何か漠然とした冥(くら)く重いものが潜んでいるのに気づいて恐ろしくなった。 それは、暗い水底で目を光らせながら、多聞丸を冷たく嘲笑している。その目を思い浮かべるたび、多聞丸はずっと大切にしてきた手中の珠を、自分の不注意で無残に割ってしまったような感覚がしてぞっとした。 結局、多聞丸は思い悩みつつも、二度と吉祥に会いに行くこともなく、ただ黙って隣家の様子を窺っているだけだった。 ↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年12月09日 16時42分27秒
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