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カテゴリ:遠き波音
近江守は半身を起こすと、目を閉じたまま自分の胸に寄り添っている顔を見た。
その眉間に深い皺を刻んだ浅黒い顔には、かつての麗しいの面影は今やどこにもなかった。長い間の労苦と汚辱と絶望が、やつれた寝顔をまるで七十歳の老婆のようにさえ見せている。 近江守の目に、また涙が盛り上がってきた。 「守殿は、懐かしい匂いがいたしまする」 ふいにまた、腕の中から呟く声がした。近江守は指先で優しく乱れ髪を掻き揚げてやりながら問う。 「何の匂いだ?」 「都の匂いでしょうか。なぜか、遠い昔を思い出します」 「たぶん、衣に焚き染めている香のせいだろう」 「そうでしょうね。この薫りは梅香でございましょうか。でも、わたくしの家に伝わっていたものとはどこか違うような。一体どこで嗅いだのでございましょう」 「思い出してみるといい」 「そう……あれはまだ、わたくしが父の屋敷にいた頃のこと。お隣は右兵衛督様のお屋敷でした。そこには小さな若君がいらして、よく我が家へ遊びにおいでになったものです。やんちゃで可愛くて。年寄りばかりの陰気なわたくしの家を、いつも明るく照らしてくださいました。父も母も、もう夢中になって、そのお方を可愛がったものです。わたくしもその若君が大好きでした」 ↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年02月07日 16時12分10秒
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