家系図
2月8日、施設に置いてあった母の荷物を整理した後実家へ行って、兄弟3人とその連れ合い計6人でこんなものを広げました。実家の家系図ですが、「昭和19年2月8日認」とあり祖父が書いたようだ。奇しくもこれを開いた2月8日と同じ日です。熊本から宮崎県に出てきて、延岡の縣(あがた)城主高橋家に仕官していたが5代目は高橋家が改易され浪人となったもよう。その後3代ほど浪人だったようだが、8代目が日向高鍋藩の秋月家に槍術師範として召されこの時出身地の地名を取り実家の姓を名乗ったと書かれている。それでこの方は港区のお寺に埋葬されたとあり、ネットで調べてみたが、すでにお寺は無く墓地になっている。もう少し下って行くと大阪のお寺に埋葬された人もいて、偶然叔父がこの方の墓を見つけたという話もある。この家系図は祖父までしか書いていません。父と兄を書かねば…って誰が筆で書けるんや!と思うのでありました。