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カテゴリ:お米にまつわる話
安積疎水について 【げんき米】は、 元気な土(自然農法) 元気な水(安積疎水) 元気な農家(家庭円満) 元気な波動(超波動農法) で作られています。 今日は、元気な水の元「安積疎水」についてお話します。 そもそも安積地方(現在の郡山市)は 福島県内の中央にありながらも 水の便が悪かったことも あって開拓が進まず、貧しい地域でありました。 明治政府の進め、福島県でも廃藩置県の直後から構想があったが、中条政恒を中心に開拓への 意欲を見せ、彼の献身的な情熱に従った人々により、開拓が具体的になったのであります。 1878年(明治11年)11月、内務省はオランダ人ファン・ドールンを派遣して実地調査を行い、 猪苗代湖山潟地区からの取水が容易に行える事を見、工事を行う事に決定しました。 明治11年、安積疏水の計画にあたり、フアン・ドールンは、猪苗代湖の自然水位を変えず会津側の 人々の水利用に支障なく、安積疏水で疏水できることを実証しました。 明治12年10月27日に明治政府にとって第1号の事業として安積疏水工事を着工しました。 その間40万7千円(現在の価値にすると約470億円)の費用と延べ85万人の労働力を費やし、3年の 歳月をかけて明治15年10月1日に完成しました。 安積開拓に心血を注いだ。中條政恒なしには安積流水の実現はなかったと言われています。 当時の安積開拓の悲惨さを描いた「貧しき人々の群れ」作家宮本百合子は祖父にあたります。 その後、安積疏水は安積開拓で拓かれた水田を潤し、地域の農業の発展に大いに貢献しつつ、 やがて人々は疏水を利用して発電を行い、その電気を利用した製糸工業を興しました。 現在の郡山市の発展は、「安積疎水」に心血を注いだ多くの方々の血と汗とがなくては、ありえま せん。感謝あるのみです。(資料は安積疎水より)
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