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遠藤ケ滝へ
2年ぶりになるのだろか? 安達郡大玉村にある遠藤ケ滝を訪れました。 小雨が降り始めた遠藤ヶ滝不動尊へ・・・。 例大祭があったらしく、参道には信者さんから 奉納があったのぼりが立ち並びます。 参拝を済ませ遊歩道へ・・・。 最近整備された遊歩道を通り進むと女人堂碑が 建てられております。 昔はその先に女性が足を踏み入れる事は 禁じられていたのですね。 橋を渡り階段を登ると「三日月滝」が現れます。 「三日月滝」と言い落差は4mほどだが、 丸い岩を流れ落ちる水の形が球型になっていて とても美しい。 昨日は水量が少なくきれいな三日月になっては いませんでした。 前回のショットを載せておきます。↓ 「石室」という岩屋はここを開いた文覚上人が この石室にこもり、日夜滝に打たれ修行を続けたと 伝えられています。 鉄の階段を登ると大岩の間から轟々と水音を 轟かせながら流れ落ちる遠藤ヶ滝に たどり着きます。 マイナスイオンを吸い込みしばし文覚上人を 思い瞑想をして参りました。 さすがにパワースポット!! エネルギーを頂いて参りました。 今日も素敵な出会いがありますように。 大玉村HPより 遠藤盛遠伝説 はるか昔、承安(1170年代前半)頃の物語。 遠藤時遠の息子に盛遠という若武者がおった。 盛遠には源渡(みなもとのわたる)という親友がおり、 源渡の妻は袈裟御前(けさごぜん)と呼ばれた 絶世の美女であった。 盛遠は渡の家を度々訪れるうちに袈裟御前を いとおしく思うようになった。 ついにその想いを袈裟御前に打ち明けるが、 袈裟御前は我が夫を思い、一人悩む。 そして、袈裟御前は自分さえいなければという 考えに陥っていき、一方の盛遠は、 渡さえいなければと思うようになっていった。 ある時、袈裟御前は訪ねてきた盛遠に 「夫は今夜酒に酔って高殿で寝ている。」と語りかけた。 それを聞いた盛遠は自分の想いが通じたと思い込み、 夜陰に紛れて寝所に忍び込み一刀の下に首を斬り落とした。 ところが、よくみるとその首は夫の身代わりとなって 寝ていた袈裟御前のものであった。 悲しみのあまり盛遠は俗世を捨て仏門に入り、 修行の道に救いを求めた。 名を文覚と改め熊権現に誓い、那智滝で千日間の荒行を修め、 山伏となって全国の霊地を巡歴した。 盛遠はやがて陸奥にやってきて、杉田川を渡ろうとした時 川面にカーン・マーンの梵字が浮かんだのを見て、 上流に不動明王のおわす事を悟り深く渓谷に分け入り ついにこの滝を見つけ、傍らの石室に篭(こも)りながら 荒行を修めたところである。 以来この滝は遠藤ヶ滝と呼ばれるようになった。 ◆ 大玉村HPより ◆ 遠藤ケ滝 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.09.22 09:24:47
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