カテゴリ:文芸あれこれ
三味線を奏でながら唄われる都々逸。 高杉晋作は、都々逸が好きで、折ある毎に即興で都々逸を作り、唄っていました。 そのために、折りたたみ式の携帯三味線まで、常に持ち歩いていたといいます。 三千世界の烏を殺し 主と朝寝がしてみたい この都々逸は、高杉晋作が京で芸者と遊んでいる時に、即興で作ったものといわれ 高杉が作った都々逸の中でも、最もよく知られているものです。 粋な艶っぽさが、この唄の魅力であると言えるでしょう。 都々逸は、和歌や俳句のように、文芸として一般的ではありませんが、 七七七五の音律を持つ短詩であり、 三味線とともに唄われることが多く、庶民的な流行歌でもありました。 幕末から明治にかけて、特に流行し、恋の歌が多いことも、その特徴です。 高杉は、松陰門下の中でも秀才として知られ、 もちろん、和歌や漢詩の素養も高く多くの歌を残していますが、 やはり、都々逸に、一番高杉らしい個性が表れていると思います。 また、高杉には勤皇の志士らしく、幕末の政治状況を写した都々逸もあります。 わしとおまえは焼山かつら うらは切れても根は切れぬ ~これは、絵堂・大田の戦い(高杉ら尊皇派が、長州俗論党と争った戦い)のさなか、 山県狂介(のちの有朋)が送ってきた和歌に、高杉が返歌として送ったものと言われています。 共に戦おうといった意味でしょうか。 萩にゃ行きたし 小倉も未練 ここが思案の下関 ~これも、絵堂・大田の戦いで、小倉に幕府軍がいるので萩の俗論党を攻撃できない、 といった状況で詠まれたもの。 聞いておそろし見ていやらしい 添うてうれしい奇兵隊 ~これは、奇兵隊の応援歌?とも言えるものです。 これらの都々逸は、 幕末という時代の情景を、さらに身近に感じさせてくれる 文芸であると言えるでしょう。 ただ今、青森へ長期出張中。 ホテルのインターネットコーナーから、アクセスしています。 週末には戻る予定です。 それでは、また。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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