カテゴリ:なにわ歴史探訪
「エノキさん」 という愛称で地元の人から親しまれている大木と小さな祠。 大阪市安堂寺町にある榎木大明神です。 ![]() この榎木大明神は、私の通勤路の途中にあって、 毎日、この祠を横に見ながら、 職場へと向かっていたものでありました。 しかし、先月、会社の事務所が移転になったため、 今は、この祠の前を通ることもなくなりました。 毎日、何気なく歩いていたこの道も、 いざ、ここを通ることもないと思うと、 一抹の感傷を感じるものです。 ![]() この「エノキさん」というのは、思いのほか歴史が古く、 樹齢670年と云われていて、楠木正成が植樹したという言い伝えまであるのだそうです。 この前の道が熊野街道で、かつては熊野詣や伊勢参りで、多くの人が行き来した道。 「エノキさん」はそうした参拝者にとって、格好の道しるべであったのだそうです。 豊臣時代から江戸時代にかけては、この地は大坂城内でありました。 きっと、この「エノキさん」は、幾多の歴史現場を見てきたのでしょうね。 ところで、榎木大明神のこのあたりは、 直木賞の由来となったことでも知られる作家、直木三十五の生まれ育った場所でもあります。 彼の代表作は、幕末の薩摩藩の動乱を描いた「南国太平記」。 直木は、この作品を中心とした作品群により、 大衆小説の発展に力を注いだ人でありました。 彼の功績を記念し、榎木大明神の傍らには 直木三十五の文学碑が立てられています。 ![]() 「きっとなせる市蔵」 「なせる」 大久保市蔵はそういってうなずくと 吉之助の手を握った 軽輩のすべては同じ心で 磯浜を桜島を眺めていた 直木三十五「南国太平記」より この作品は、お由羅騒動と呼ばれる幕末薩摩藩のお家騒動を描いたもので、 益満休之助という薩摩藩士が主人公。 益満休之助といえば、西郷隆盛の命を受け、 江戸で浪人を集め、幕府に対するかく乱工作を行ったことで知られる人物で、 この挑発行為が、幕府の主戦派を刺激し、鳥羽伏見の戦いを起こさせたという、 討幕戦における陰の仕掛人とも云える人であります。 この碑を見るたびに、「南国太平記」を一度、読んでみたいと思っていながらも、 いまだ、未読のままです。 ところで、この榎木大明神と直木三十五文学碑の管理については、 箔美会という地元の有志の方々で、お金を出し合って行われているのだそうです。 私も、ここの清掃をされている方を見かけた時には、 たまに、声を掛けたりしていましたが、 こうした、有志の方たちの地道な活動によって、 貴重な遺蹟が守られているのだということを感じます。 この安堂寺町だけではなく、 有志の手により歴史保存が行われているというケースは、きっと全国にもたくさんあって、 こうした地元有志の方の地道な活動が、 歴史を伝えていくことを底辺で支えているのでは、 ということを感じさせます。 榎木大明神と「エノキさん」は、 今でも、地元の人たちにとっての土地神さまであり、 春のお彼岸の頃には、毎年、お祭りが行われているのだそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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