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カテゴリ:オーラの泉
ご実家のある新潟が大地震に襲われたのは、勝新太郎さんの「座頭市」に子役で出演するなど
新たな道を模索していた昭和39年(東京オリンピック開催年)。 精肉店は続けられなくなり、ご家族は15歳の小林さんのいる東京へ。 小「両親と姉二人と住んだんですけれども、生活費がないんですよ」 美「生活費を生み出す手段がないんですものね」 小「その15のときに生活費をどうしようかということで、ある人が 『さっちゃん、こういう仕事があるよ』 昔は、ナイトクラブとかキャバレーとか8時とか9時に2回ステージ お客さまの前でバンドさんがいて、そこで歌うと その日に取っ払いというお金をもらうんですよね。それで生活費を稼いだ。 だから勤労少女みたいな感じで☆ずっと働いていた。 でも労働基準法に引っかかるから、18と誤魔化して上のまつ毛と下のまつ毛をくっ付けて お化粧も思いっ切りして、シャドウをつけて、仕事をもらって 生活費や家賃や全部をそれでやってきたんですね」 美「でもご両親の気持ちもお辛かったでしょうね」 小「そうですね。私も確かにそうだったかもしれないけれど それを見ていた両親の方が辛かったんだと・・・」 美「ましてや、働き者のお母さんはね、ものすごく辛い思いをなさったと思うの」 小「やはり15だから、ボーイフレンドとか、何とかとか そういうことをしたいじゃないですか。でも仕事をして わからなくなっちゃうんですよね。そうするとどこかで爆発して 『このサイドボードも、これもあれも、全部私が仕事をしてきたんじゃないの! お父さん達は何をやってんのよ!お父さんなんか嫌いだ!』 みたいなことを言ってぶっ飛ばされた、一回だけ。 私を殴った父は、私が打たれた痛みよりも、ものすごく痛かったんだと思います。 それを暴言というか・・・」 美「若いんだもの。それは仕方がないよね」 小「15とか16でしたから」 一番寂しく悲しかったのは、ご自分の歌と世間の嗜好がなかなか一致しなかったことだそう。 小「14、5歳ぐらいのときに、奥村チヨさんとか、ちあきなおみさんとか ああいうセクシーな歌が流行ってきたんです。だから自分もこういう歌という風に レコード会社にお願いして、頑張って出してもらったりするんですけど、如何せん 下まつ毛も上まつ毛も付けて口紅をいっぱい付けても・・・」 美「あの頃は流行りでしたよね」 小「でも15は15なんですよね。 『やっぱり二十歳以上にならないと、こういう歌は売れないんだな』って。 やっと二十歳になった。 『これからはセクシーな、大人っぽい歌、女っぽい歌も歌えるかな』と思うと アグネス・チャンとか、百恵ちゃんとか、そういう時代が来ちゃうんですね☆」 美「可愛い系になってね☆」 小「『あれ?違うな・・・』全部、逆行して。 『神様に捨てられちゃったかな・・・歌の神様に』とか、思っていましたね、その頃。 やはり歌い手って、ヒット曲がないと駄目なんですね。 ヒット曲があるかないかで、泊まるところ、ホテルのランクが本当に違うんですよ」 美「手の平を返されてしまうでしょう?」 小「もうね☆私は本当に、地方でクラブとかで歌うときは、楽屋でしたから。 ホテルとか旅館じゃなくて、楽屋だったんですよ。 青森とかに行くと、真冬、本当に嘘じゃなくて、どんなに目張りをした旅館でも 隙間風で雪が入ってくる。起きたらお布団に霜。 『この白いの、何?』『ああ、そうか。売れないってことはこういうことか』って。 だからヒット曲が欲しい=いいところに、いいホテルに泊まりたいなって思いましたし・・・」 美「それとね、日本全体がまだ貧しかったから。いいホテルって無かったの。 地方も何も、貧しいのが当たり前だったの」 小「だから逆に言えば、いろんな歌い手さんと大広間でご飯を食べさせてもらって お風呂というと大きなのがひとつしかないんですよ。そうすると 看板の歌い手さんが入らないうちは、入れないんですよね、ずーっと待っている。 だから、我慢することは教えてもらいました。 看板の方が麻雀なんかをやっている日には『今日は入れない、体を拭いて寝よう』 『お先に失礼します』でもいい先輩で『先に入ってもいいよ』となると 『ああよかった。お風呂に入れる☆』 そんな時代がありましたね。でも、いい経験になります。 今はみんなホテルじゃないですか。必ずお風呂が付いていますけれど・・・」 美「今だったら、お金を出してもそういう経験はできませんよ」 小「そうですね、上座も下座も今はないですから」 江「でも逆にいまの時代、子どもたちとかに本当は必要なんですよね」 美「けじめね」 江「つい最近、野球選手のお話で伺いましたが、昔は旅館で お手洗いに行くのも忍び足で行くとか、布団を踏まないようにとか 先輩よりも遅く寝て、早く起きるとか・・・」 美「人の枕元は通っちゃいけないとかね、気遣いとか思いやり・・・」 江「そういった意味で、マナーを覚えることができた。今は個室だから、それがないと」 小「『お風呂をお先に頂戴いたします』なんて言葉はないですものね」 国「今はないですね。でも、昔は聞いたような覚えがあります」 小「そうですか」 様々な苦労も、すべて歌を高めることへと繋がっているようです。 小「歌を歌うこと自体は大好きなんです。クラブとかキャバレーで歌うと いろんなステージがありましたから、民謡が似合うキャバレーとか シャンソンが似合う、ジャズが似合う、もういっぱいあったんですよ。 自分の歌も歌ったりしましたけれども、そのお店、箱に合う歌を練習するんです。 上手でも下手でも、とりあえず引き出しに入れておかないと。 『この仕事、この内容に合う歌は歌えますか?』と言われたら 『歌えます。いつでもOKです』仕事が欲しいから、そのために勉強したみたいなもので。 今考えると、ものすごく良かったなと思います」 美「あの頃の芸人さんとか歌い手さん、終戦後からの時代というのは 本当にすごい時代だったわね。私も『メケメケ』で有名になる前と、有名になった後 シンガーソングライターの元祖でやるときに『ヨイトマケの唄』を作り出して 宝石や何かは邪魔になるんで素顔で、ワイシャツ一枚で歌うようになったら 『商品価値が無くなった』というので、仕事がパッとなくなって翌日から干されて。 それでキャバレー回りをやると、いろんな食べ物が飛んでくるのよ。 最後には泣いてるくせにね☆それで私、頑張って歌ったりして、とにかくいろんなこと・・・。 でも面白かったわね、考えてみたら☆」 小「そうですね。こうしていま、こういう形で歌い手としてやらせてもらっているので その当時のこと、それはそれで面白かったなと言えるくらいに、今はおかげさまで幸せです」 国「そういう時代を経て、15年目で(「おもいで酒」がヒット)。 これはご両親も喜んでくれたんじゃないですか?」 小「そうですね、父は喜んでくれて。 もちろん母も、本当は一番のファンでいてくれたんですが、新潟の女ですね 『いっぺん反対したんだ』と言った母に『お母さん、今でも反対してる?』と言ったら にっこり笑って『反対してるよ☆』死ぬまで言い続けていました☆」 美「天邪鬼ね☆」 小林さんは、何度も生まれ変わりながら、ずっと歌い手の人生が続いているとのこと。 一番手前の前世は、フランスの女性歌手。もっと古い時代は カストラート(美しいボーイソプラノを保つため、変声期前に断種した男性歌手 及川光博さんの前世のひとつもこちらでした☆)だそう。 江「イタリアで少年の頃に手術をして、いつまでも綺麗な声を保って。 小節とかが簡単でしたでしょう?と言ったのは、そういう昔の古歌というか・・・」 美「小節ではないんだけど、16分音符くらいの早い、 ベルカント唱法(イタリアで18世紀に成立した歌唱法)って、ものすごく難しいのよ」 江「いろいろご苦労もなさっていらっしゃるけれども どこか堪えられるだけの魂の力を持っていらっしゃるんですね。 何故かというと、やはり皆、当時は寄宿舎ですから。 幼い頃に親元を離れた生活。それでも生き残れるかどうかは難しいんですね。 断種したところで、綺麗な声を保てない人もいるし。 どこか少年っぽさがあるんですよ。もともと魂の気質が、男の子みたいな人なんですよね。 常にまっすぐだし、無邪気な面もあり、自分の思いを本当に正直に向けて 生きるというところがあって。変な大人の、心と裏腹なことをしたりということがない」 美「世俗的な欲がないのよね」 小「物欲が割りとないんですね。普通の女性が欲しがるものを思わないんですね」 美「あなたぐらいのベテランになると、クラブを経営してみたり、事業欲も出てきたり 世俗的になるじゃない?そういう欲が全くないということをおっしゃっているのよね」 江「欲しいものがあるとしたら、全部、仕事に関わるもの。 衣装とか『日常じゃ着れないよ』というような」 美「お金の使い方も、衣装とか、衣装を保存するための倉庫であるとか そういったものにはいくらでも惜しげなくお金を使えるの」 小「車をね、『二台いっぺんには乗れないだろう。一台で移動するものだけでいいだろう。 そのかわり、11トントラックが欲しい』とか☆それはコンサート用の」 江「自分でお店まで経営するというのは、嫌でしょう?そういうことを人から言われても 『苦労ばっかり多いから』って思うはず。 何故かというと、フランスのときは経営していたんですよ。 それでコテンパンにひどい目にあって。歌うよりも、女亭主としての経営で 『自分も歌い手なのに、いろいろ作らなくちゃいけないし、人も使わなくてはいけないし これじゃ自分が歌えない』ということで、とても苦労した。 『人を歌わせてお客さんを入れて』という、別の労力の方へいってしまった。だから 『生まれ変わったら、今度は歌だけ歌いたい』とおっしゃったんですよね」 続きます。 *** これまでの「オーラの泉の日記」リンク、よろしかったらどうぞ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 7, 2007 06:51:45 AM
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