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カテゴリ:オーラの泉
幸せを運ぶお掃除名人として全国を講演し、活躍する女性がゲスト。
【スピリチュアルチェック】 ☆ 小さい頃はどんな子供?→すごい負けず嫌いでした。 ☆ 趣味→お掃除ですね☆ ☆ 人生で一番嬉しかったこと→息子が誕生した時です。 ☆ 人生で一番辛かったこと→船越の赤ちゃんを流産した時でしたね。 ☆ 好きな言葉→好きな言葉は、今までずっと自分にいい続けてきて 「陽は昇り、陽は沈み、必ず陽は昇る」この言葉を支えに生きてきました。 国「さあ、オーラの泉ですけれども、今のご気分はどうですか?」 松「主人がね、お世話になったことがありましてね、その出させていただいた時の VTRをどれだけ観させていただいたかわからないぐらい…」 国「何回も観たんですか?」 松「はい、それで観るたびに私、泣いてるんです☆ ああ、本当にこんなに素敵なメッセージを、私の息子、家族にいただいて… 『ああ、幸せだった、幸せだった』 『このビデオがある限り、私は家族の縁の下の力持ちで生きていかれる』と思って 観させていただいているんですね。その番組に、今度は私でしょう? だからね…すごく嬉しいです☆」 *** 松居さんの夫・船越英一郎さんの回のメッセージ 松居さんの息子さんと、船越さんは前世では血の繋がった親子。 江「奥さまよりも船越さんの方がいろんな意味で気質も何もかも似てるでしょう?」 船「顔まで似てきてるんですよね、最近。」 美「今世で血の繋がっていない他人でもね、前世で本物の親子だった人は 趣味から癖から好みから、いろんなものが全部似ちゃうの。 びっくりするくらい、何でこんなに似てるのっていうくらい。 ひとつのものを見るのでも、同じものを見て、同じものを欲しがったりする。 そいういうこと、おありでしょ?」 船「はい。」 ご家族の写真を拝見すると、本当に顔の輪郭まで、お二人はそっくりでした。 「オーラの泉・船越英一郎さん」 *** 国「前世では、息子さんと船越さんが親子だったという。そこで松居さんは働いていたと☆ 洗濯、掃除もしていたということでしたからね☆ 松「私はお城のお姫様くらいに思っていたんですよ、自分では☆ 『でも、よく働くお姫様だなあ』と思っていたんですけど☆」 競艇選手のお父様に似て負けず嫌いの松居さんは、高校時代からモデルとして活躍 11PMの司会者に抜擢され、29歳で青年実業家と結婚、お子さんにも恵まれるという 順風満帆な人生。ところがお子さんの病により、壮絶な闘いの日々が始まります。 画面には、全身が紅く腫れて痛々しい赤ちゃんのときのお子さんの姿が映りました。 国「息子さんが重度のアトピー性皮膚炎という…重度というのは、どういうことなんですか?」 松「もう血だらけでしたね。あの…親ですから写真は毎日のように撮ってやりたいんですよね。 でも血だらけでぼろぼろですから、写真を撮ってやれないわけですよ。 いま映った写真は、唯一、調子がいい時。 『まだこれくらいだったら撮ってやってもいいかな』と思う時のお写真なんです。だから あれは最高に綺麗な時なんですよ。だって初めて言えた言葉が『かゆい』でしたから」 美「自分が代わってやりたいくらいでしょう?」 松「そうでした。もう本当に…『私の命と代えてでも、この子を良くしたい』と 思ったけれど、光が見えなくて…さまよい続けましたね…」 美「辛いですよね…」 松「辛かったですね…あの…4年間、息子を脇に抱えてますから。 片時も離せないんですね、血が吹き出てきますから。 だから4年間の私の食事は、全部立ち食いでした」 国「息子さんが中心の生活になっちゃったということですよね」 松「もうなっちゃったというか…私の生活はすべてなかったですね。 『それでも息子が良くなれば』と、思ってましたから…」 江「それだから耐えられるんでしょうね。 私の知っているお医者さんとかがおっしゃるんだけれども 『痒みは、精神を病む』『ただ痒いという、そんなレベルじゃない』と。 実は私も、重度のアトピーだったんですよ。今はもう克服しましたが、その辛さは本当に…」 美「どれ位続いたんですか?」 江「私はね、小学校の高学年からなので、もっと後からなんですけれど、21、2歳まで」 美「そんなに長く?」 江「ええ。それで、どこの病院に行っても駄目だし、それこそ病院で研究、学会用に 全裸で写真を撮られた位です」 松「息子もそうでした。 どこの病院でも『ここまでひどい子は見たことがない』と言ってね…」 国「食べるものも、すごくいろいろ気を使ったんじゃないですか?」 松「もう…あの…『これがアトピーの原因かもわからない』『これかもわからない』と 言われて、私は全部除去して、作ってましたね。パンもいろいろ除去して 安心なものを自分で焼いて、ずーっと台所にいましたね。でも私は 『絶対に息子を、私という母親の手でこの子を良くしよう』 『もうそれしか私たちの生きる道はない』って思いましたね」 ![]() 国「どうやって治したんですか?」 松「もう…いろんなことをやりましたし、最後は中国まで。 日本で診ていただいた先生がいらっしゃって、その方が突然、いなくなったんですよ。 どこのどなたかも、私たちは分からない状態だったんですね。でも 『あの先生しかいない』と思って、息子を連れて、漢方薬を煎じていた鍋を抱えて 中国へ人探し旅行に行ったんです。それが息子が3歳7ヶ月でした。 初めての海外旅行が、その人探し旅行だったんです」 国「どこにいるのかわからない状態で行ったんですか?」 松「わからない、そうです」 美「だって中国は13億人もいるんですよ☆」 松「そうです。雲をつかむみたいな、映画のような話なんですけど、奇跡が起こって 道端でその先生にめぐり合ったんです」 国「ええ?!」 美「映画だって、それをやったら『うそ!?』って言いますよ☆」 松「本当ですよね。ところがお目にかかって 再び息子がその漢方薬を飲ませていただくことができて、完治に近づいていったんです。 だから、あの時もしも『もう探すことはできない。日本にいらっしゃらないんだから』と ギブアップしていたら、今の息子の肌はなかったんじゃないかな?とは思います」 国「すごい確率ですよね、絶対にありえない確率ですよね」 美「地球の人口は60億から65億といってるんですよ、その確率からいったら…」 松「本当に『何が入ってるんだろう』というくらい、みるみる良くなりました。 ところがそのまま良くならないうちに先生がいなくなられたわけですよね。 だからきっと、私にはその試練が必要だったんでしょうね、いまから思えば…」 江「一緒にそうやって闘って下さるね、思いの力が相当、役に立ったでしょうね。 実は全国には、アトピーで何をしても駄目で『もう死にたい』って それぐらい思う人が山ほどいらっしゃるんですよ」 松「そうですよね…辛かっただろうなと思いますけれども、その本当に苦い漢方薬を 私の目の前で、ゴクゴク飲んだんです、初めての日に。 大人でも飲めないような薬なんです。でも、それを3歳5ヶ月の息子が飲んで、私に 『お母さん、僕、治りたい。これを飲んだら、中国の人が治ると言ったから お母さん、飲めるよ』と言ったんですよ。 一回も嫌とは言わず、朝と夜、決められた時間にゴンゴン飲んでました」 続きます。 「オーラの泉の日記」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 11, 2008 08:21:48 AM
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