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カテゴリ:オーラの泉
阿久悠さんの生んだ最大のスターである女性歌手の方がゲスト。
ピンク・レディーの活動期間4年7ヶ月で、レコードの売り上げは1100万枚以上。 国民的大スターを生み育てた作詞家・阿久悠さんは昨年、ご逝去。 (今回のスペシャルは、亡き人を偲ぶ内容のためか ご本人のスピリチュアルチェックはなかったようです。) 国「さあ、今日はようこそお越しいただきました」 未「こんにちは☆」 国「以前、ケイさんが来てくれたんですけれども、その時の回っていうのはご覧になりましたか?」 未「もちろん、観てました。もう、一回も見逃さずに観ています」 国「この番組自体を?」 未「はい」 国「今日、ご自分がここに座っていますけれども…どんな感じですか、今は?」 未「もう凄いラブコールをして…『出させていただきたい』と思っていたんですけれども なかなかお声がかからないのは『私、まだ転機が来ないからかな?』と思って☆」 国「観てますね、この番組☆…美輪さんとはどうなんですか、初めましてになるわけですか?」 未「いえいえ。あの…舞台とかたくさん観せていただいて…」 美「しょっちゅう来て下さるの、私の舞台へ」 国「江原さんとはどうなんですか?」 江「はじめまして☆よろしくお願いいたします」 未「はじめまして☆…なんですけど、コンサート会場とか、舞台を観に行った会場で ちょこちょこお見かけしていて…」 江「あ、そうだったんですか、大変失礼いたしました」 未「とんもないです。ここのところ、頻繁にお目にかかるようになったので 『そろそろきちんとお目にかかれるんじゃないか』と思って…」 国「これは今日、絶対何かありますね☆」 未「…なかったらどうしよう…☆」 江「いや、あります☆」 未「本当ですか?☆」 幼なじみの増田恵子さんとアイドルを目指していた未唯さんは 1976年、オーディション番組「スター誕生」に出場。 オーバーオールでフォークソングを歌い、決勝大会で合格、フォークソングデュオ 「白い風船」としてデビューすることに。 ところが「彼女達の生い立ちがいつまでも気になるようでは歌が限定される。 もっとパワフルで面白い曲を歌わせたい」という阿久悠さんのアイディアで 「ピンク・レディー」が誕生したのだそうです。 国「もともとは、フォークデュオだったんですか?」 未「違うんです…アマチュア時代は、ホットパンツをはいたり、ミニスカートをはいたり 自分で振り付けをして、ガンガン歌って踊ってたんですけど 『スター誕生』を受けるからには、それまで審査員の先生が何を言っているか よーく聴いているわけですよ。それで、ちょっとあの…田舎くさいというか 新鮮さを演出するために、ああいう格好をして…」 国「あ、オーバーオール…」 未「オーバーオール着て、振り付けも随分削って、作戦としてああいう風に出て行ったんです」 国「それは自分たちで考えたんですか?」 未「そう」 美「でも、綺麗な透明な声ですね、本当に…」 未「頑張って、練習してました…」 美「すごく涼しげな優しい上品な綺麗な声でしょう、びっくりしちゃった」 未「ありがとうございます」 国「で、『白い風船』という名前でデビューするはずだったんですか?」 未「そう…ですね…多分、ビクターの方からは『そういう風に押し出していこう』 ということだったと思うんですね。で、『決まったよ』って言われたんです」 国「『名前が決まったよ』と」 未「うん。それで『白い風船で、じゃあ練習しなきゃね』って。 『でも、フォークかあ…でもデビューできるから、いいよね』って言いながら… だったんですが、途中からコロッと変わったんですね。突然 『ピンク・レディーっていう名前に変更になったから』と言われて。 『え?ああ、可愛い☆』って思って。ピンクって色が可愛らしいじゃないですか。 その可愛さですごく嬉しかったんだけど…」 美「レディですものね☆レディって淑女って意味でしょ、ねえ」 未「…居候しているところの、お世話して下さっているおばさんに 『おばさん、芸名がね、変わったの。ピンク・レディーってなったんです☆』と言ったら 『あら、ずいぶん変な名前付けられちゃったわねえ』『え?変な名前ですか?』って」 美「ピンクっていうのは桃色、桃色遊戯とかね、いけないことみたいにね。 だから『桃色淑女』っていうことでしょ、日本語に直すと。そうするとちょっと エロっぽいから。そのおばさん、そっちの方へ回路が繋がったんじゃないですか」 未「…なんですね、きっと☆」 国「阿久悠さんを初めて見たというのは…」 未「『スター誕生』の審査員として…が初めてですけれど…」 国「どんな印象でしたか?」 未「あの…ヘッドホンして、睨むように聴いてるんですよね、歌を。 怖くて怖くて…本当にねえ…印象としては『怖い』というのが真っ先にありましたね」 美「ご本人はね、普通の表情だったんでしょうけど、顔立ちが怖い顔立ちだから」 未「真剣に聴いて下さっていたんですよね☆きっと…」 美「だから睨まれているように錯覚したんじゃない?」 未「錯覚したんですね☆…あまり余計なことは言わないで、必要なことだけスパーンって おっしゃる方なので、厳しいことを他の方も言われていたし、私たちも 『新鮮味がないな…』とかって、言われたと思いますよ」 国「そうですか…あの…レコード会社も力を入れてのデビューだったんですか?」 未「違うんですよ☆レコード会社は、全然…あの… 『え?もしかして、しょうがなく採った?』っていう…会社自体は全然、期待していなくって 何か…ノベルティもあまり作ってくれなくって…『期待されてないな…』って言われて…」 国「それはデビューする頃から気づいてはいたんですか?」 未「もう、はっきり言われていましたから」 国「あ、言われていたんですか?『期待してないからね』ということじゃないですよね?」 未「あ、でも、それに近いことを言っていたと思う…」 国「ええ?!本当ですか?!…うわー…それはちょっと、きつくないですか?」 未「…いや…でも、だからね、よけいに『よーし、頑張ろう!』って…」 1976年のデビュー曲「ペッパー警部(作詞・阿久悠 作曲・都倉俊一)」は 105万枚の大ヒット。1978年の「UFO(作詞・阿久悠 作曲・都倉俊一)」 「透明人間(作詞・阿久悠 作曲・都倉俊一)」など、斬新な歌詞と振り付けは 子供たちを中心に日本を席巻し、たちまちトップアイドルに。 「ペッパー警部」105万枚 「S.O.S」120万枚 「カルメン′77」110万枚 「渚のシンドバット」145万枚 「ウォンテッド」165万枚 「UFO」 195万枚 「サウスポー」180万枚 「モンスター」160万枚 「透明人間」115万枚 「カメレオン・アーミー」125万枚 ピンク・レディーの存在は、阿久悠さんにとっても大きいものだったようです。 1988年に「徹子の部屋」にご出演になったときの阿久悠さんの言葉 「自分がね、それこそ、こうね…映画のプロデューサーになったような気持ちになれた… 『今度は、透明人間出そう』とかね、『次はUFO…』 『今度は野球の実況中継みたいな歌を作りたいな』とかね…そういった、こう…いろんな… あの…歌にこだわらない形でいろんなことがやれたもんですから…面白かったですね」 続きます。 「オーラの泉の日記」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 18, 2008 09:35:24 AM
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