宇治第7帖「浮舟」の古跡を目指し少し息を切らせて石段を上り
「三室戸寺」の境内に到着、手を清めさせていただいてから、本堂前へ。
このキュートな牛さんは、「宝勝牛」と呼ばれているのだそうで
口の中にある石の玉を撫でると勝運がつくのだとか。
真実の口に手をいれたときのことを思い出しながら、なでなで☆
何に勝利するのかは、これから考えたいと思います。
本堂前には様々な願文を刻んであるお線香もありましたので、身内のために
「病気平癒」を選んで煙をいただいておきました。
牛さんとお線香に気を取られ、すっかり確認するのを忘れてしまいましたが
こちらには「浮舟観音」という仏像もあるのだそうです。
本堂の向かって右手にあるのが阿弥陀堂。
親鸞聖人の父・日野有範という方のお墓の上に建てられているのだそうで
「寺伝では親鸞の娘覚信尼が祖父の有範の墓上に阿弥陀堂を建てて菩提を忌った」と
三室戸寺HPにはありました。
来月、夫と行く京都市内の旅には親鸞聖人ゆかりの場所も予定していますので
何となくご縁を感じます。
ふと鐘の音が響いてきて、受付で教えていただいた鐘楼かなと思う間もなく、
阿弥陀堂に並んでいたのが、はるばるとやって来た目的の
「浮舟」の古跡。
これまで見てきた古跡と同じく自然石に文字を刻んであるよう。
現存するお寺の中に立っているだけに、墓標のような印象を
さらに強く感じます。
三室戸寺の建物は、江戸時代に建てられているそうですが
亡くなった方のために墓標を残し後に伝える習慣が根付き始めたのは
きっとこの時代。
市内に点在する宇治十帖の古跡も、江戸時代に作られたものだそうで
八の宮、大君、浮舟と、十帖の中で主要人物が3人も出家などこの世を去る物語には
やはりこういった形の古跡が似合うと、当時の愛好家の方々も思ったのでしょうか。
「浮舟」の古跡から後ろを振り向くと鐘楼、続いて「源氏の庭」と呼ばれる花咲く園に。
宇治では季節の梅見がしてみたくて、お寺ならきっと咲いていると期待していましたので嬉しく。
花木の向こうに見えるのは、三重塔。
こちらも江戸時代に建てられたそうです。
念願の宇治十帖古跡めぐり、実はこの三室戸寺、足を運ぶには少し時間がかかるので
入り口までで今回は失礼しようかな…とも思っていたのです。
物語をイメージしながら地図上で古跡を辿っていたときには、
何故ここに「浮舟」の古跡があるのか、あまり繋がりができず
単に数合わせなのではないかしら…などと考えたことも。
それが実際に足を運んでみて、特に阿弥陀堂の由来をその場で読ませていただいてから
古跡の前に建ってみると、ここが「浮舟」の古跡を建てる場所に選ばれた理由が
何となく伝わってきたように思いました。
三室戸寺は、浮舟の父である八の宮が参篭した際、
病に倒れて帰らぬ人となった山のお寺ではないかと目されている場所だそうで
おそらくここで葬られたということも想像できます。
正妻の娘である大君、中の君とは違い、浮舟は八の宮に認知されてはいなかったのですが
姉たちが果たせなかった出家を遂げていた浮舟は、自分の一周忌の衣を縫うのと同じく
父の菩提を弔い続け、できれば傍にいたいと願っていたのではないか…と
古跡を建てた時代の源氏愛好者の方々は感じたのかもしれません。
源氏の庭を見終え、改めて本堂、阿弥陀堂、鐘楼に続く「浮舟」の古跡が並んでいるのを眺めると
ようやく父の腕に抱かれた娘のような、平安を見出した親子の姿が
イメージできたように思えたのでした。
本堂の前にある黒い鉢や囲いは、蓮を咲かせるものだそう。
盛りの季節には、きっと阿弥陀様のおわします場所もかくやという花園になるのでしょうね。
続きます。
「源氏物語ゆかりの地めぐりの日記」
「源氏物語の日記」
***
源氏物語のあらすじをお読みになりたい方は、よろしかったら
「源氏物語で恋と人生を学ぶ」(ayakawaの楽天さんのもう一つのブログ)、
下記のリンクから2004年10~12月の日記へ、もしくは
トップページ左側に設置されているフリーページから
「源氏物語で恋愛セミナー」をご覧下さいませ。