イギリス館から山手111番館の前へ。正面から観ても
ここも黒田邸のモデルかどうかは、確信が持てないまま、
アーチを描いた橋の脇の階段から、近代文学館へ。
閲覧室の前を通ると、特に三島由紀夫関連の蔵書が見られることが
明記されていましたので、ここで聞けばわかるのではないかしらと
期待を抱きながら、常設展の受付を済ませます。
(こちらでも「みなとぶらりチケット」の特典があってポストカードを頂きました。)
横浜ゆかりの方々のなかでも、やはり没後40周年を迎えた作家の資料は充実。
全集の巻末にまとめられた創作ノートも、原本コピーがありましたので
「午後の曳航」のものをガラス越しによくみてみましたが、スケッチからも
黒田邸の場所は判別できず。
太宰治の資料が他の作家の倍のスペースを占めて始まるコーナーは、
きっとお気に召さないだろうなあと思いながら進んでゆくと、
三島さんのコーナーはラストに、さらにその倍以上の広さを取ってあって。
私は十代書簡集で読んだ東文彦氏あての手紙や「
黒蜥蜴」「
サド侯爵夫人」の
ポスターに心惹かれ、特に後者の方のチケット発売が近づいていましたので
どうか鑑賞させてくださいと秘かに稀代の作家にお願いしました。
(おかげさまで効果大でした☆ありがとうございます☆☆☆)
原稿に見入っていた夫は、昔、挫折してしまった金閣寺読みに
再チャレンジしたいなと思ったようです。
さて、夫の関心が思いのほかに高かったので、ゆっくりと鑑賞できた文学館、
もしかしたら…とスタッフの方に黒田邸のモデルが何処かをお聞きしてみると、
詳しい方に問い合わせてくださって。
おかげさまでモデルは「大佛(おさらぎ)次郎記念館」のある場所に建てられていた洋館で、
現存していないということが分かりました。
調べて下さった方々、ありがとうございます☆
調べていただいている間に吟味した沢山の図録のなかから、
「澁澤龍彦回顧展」をチョイス、購入して外に出ると、
さすがに夫が少し待ちくたびれた顔になっているのをなだめ、
「霧笛橋」と、作家がお気に入りそうな名の付いていた
さきほどのアーチ状の橋を渡り、記念館の前へ。
全集改題のコピーの写真と、こちらは当時のままの階段から広場への形状を確認、
ようやく黒田邸のモデルとなった場所にたどり着くことができたのでした。
「左の壁際に、父の好みでアメリカから取り寄せたニュー・オルリーンズ風の
輝かしい真鍮のトゥイン・ベッドが、父の死後もそのままに据えてある。
パイルで大きな頭文字のK―登の姓は黒田というのだ―を浮き出させた
白いベッド・スプレッドがきちんと掛けてある…(「
午後の曳航」三島由紀夫 1963年)」
次は元町周辺の「午後の曳航」ゆかりの地を巡ります。
「横浜&京都まち歩きの日記」
「歌舞伎鑑賞の日記」
「美輪明宏さんの舞台の日記」