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カテゴリ:2015.04
今朝の外気温は10度、日中は18度の予報である。曇りのち晴れ。
気温は低いが、明日からは少し上がりそうだ。 先日、「1号をよく手放すことが出来るなぁ」と言われた。 確かに飼育環境でヒーター、電力の容量や電気代、飼育に掛かる手間、稚魚のサイズにおける池のサイズの池数やシュリンプ缶の必要数など、自分のキャパに余裕があれば手放すことはないはずである。 しかしながら「二兎追う者は一兎をも得ず」ではないが、過去にも良いものが残ったと思いかなりの数を残したことがある。ところが、飼育環境は当然今と同じで手間ばかりかかるのである。 むしろ手間をかけられないほどどうしたらいいか分からなくなる場合も多いものだ。 結局、苦労の割に残る魚は毎年同じ程度の数である。 ある一定の選別が終われば、ある程度の数でも何とか遊べる数は残ると信じている。品評会の参加数を考えれば最低ラインが自ずと判断できるものだ。 経験の長いベテランは絞り込んで調整ができるはずである。 当方はそこまでいく技術はないが、信じているのは尾の張り(付け)と親骨の質、止め、背腰がよければ、後は何とかなると信じているからである。 確かに種に使う親には、例えちんちくりんであるにしろ、自分の飼育に合うポイントを多少なりとも考えているつもりである。 今年は種を販売できるくらいの多少は見栄えの良いのを残せたのは、冬眠を室内に変更し、その状況を把握したからである。 例年は、魚には申し訳ないが、ポイントはつかんでも心理としてはいつ死んでも後悔しないものを残すのである。 これも自分の冬眠明けの技術の未熟さを知るからであろう。 まずは「気づく」である。 兎に角、一般的にこの世界では会社のように分散した魚を観てくれる中間管理職もいやしない、ただ自分だけで観て判断するしかないのである。 ではこの辺で。 秀岳らんちゅうHP お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年04月15日 05時18分10秒
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