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音楽雑記帳+ クラシック・ジャズ・吹奏楽

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bunakishike

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2007年11月12日
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 致知12月号は「喜びの種をまく」という特集でした。その巻頭に感動的なお話しが書かれてありましたのでご紹介したいと思います。

 東井義雄先生という生涯を小中学生の教育に捧げた方のエピソードです。

(以下引用)

 ある高校で夏休みに水泳大会が開かれた。種目にクラス対抗リレーがあり、各クラスから選ばれて代表が出場した。その中に小児麻痺の足が不自由なA子さんの姿があった。からかい半分で選ばれたのである。

 だが、A子さんはクラスの代表を降りず、水泳大会に出場し、懸命に自分のコースを泳いだ。その泳ぎ方がぎこちないと、プールサイドの生徒達は笑い、野次った。

 その時、背広姿のままプールに飛び飛び込んだ人がいた。校長先生である。懸命に泳ぐA子さんのそばで、「頑張れ」「頑張れ」と声援を送った。その姿にいつしか、生徒達も粛然となった。

(引用終わり)

 何とも感動的な出来事です。私がその立場だったらおそらくそんなことは出来ないと思います。A子さんには恥をかかせようと思った首謀者やクラスの人達は自分たちの行った行為を恥じたことだと思います。

 小学生の子供にこの部分を読ませました。やはりこのようなことはできないと言います。

 しかし、皮相な見方をすると、この校長は、A子さんのクラスで何が起きているかを担任が把握していない事を見抜けなかったことに恥じるべきです。もしかしたら、担任も加担しているかもしれません。そうすると校長の監督責任も問われます。

 まあ、このようなことはないと思いますが、昨今の状況を見ていると、もしかしたらその時もこのような状況だった可能性はある筈で、現在はこのような話にも素直に感動すると言うわけに行かなくなりました。

 私がひねくれているのか、そう思わせる世の中がになってしまったのか、なかなか難しい問題です。

 なお、このお話しは「無財の七施」という仏法の教え、財産が無くても誰でも七つの施しが出来る、喜びの種をまくことが出来る、ということに関連して触れられたエピソードです。すべからくこのようにありたいものです。

東井義雄記念館





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Last updated  2007年11月12日 23時07分51秒
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