Profile
bunakishike
折に触れて聞いた音楽の感想をだらだらと書いています。
音源は主に海外サイトからダウンロードしたハイレゾで、その他観たコンサートや映画などの感想を綴っています。
|
Category
(45)
(1099)
(979)
(272)
(596)
(792)
(404)
(110)
(103)
(130)
|
|
宋文洲さんのメルマガ第103号に「週刊ポスト」に連載されているコラムが転載されていました。おもしろかったので、ご紹介します。
(以下引用)
千葉県に「我孫子」という町がありますね。でも、日本のことをあまり知らない中国人が「我孫子」を見たら、おそらく大変びっくりすると思います。なぜならばそれが人を罵る言葉だからです。
もともと、中国語で「我孫子」といえば「私の孫」という意味です。ですからもちろん、中国人が自分の孫を「我孫子」と言う時は侮辱する意味にはなりません。しかし、同性で(異性はまた別)、自分の孫でもない人のことを「我孫子」と呼んだ途端、これが相手を罵ることになるのです。
実際、特に中国の古い習慣が残る地方では、相手を罵る時に「我孫子」がよく使われます。これがおそらく儒教と関係があるのではないかと思います。
儒教はお年寄りを大切にするイメージがありますが、その裏に若者が未熟で愚かという考えがペアになっています。孫は子供の子供ですから、未熟のそのまた未熟な人間ということになりますね。
つまり、血のつながりの無い人を「我孫子」と呼ぶことは、相手を「未熟さの極まり」といっているようなものです。
実際にこうした言葉が使われる状況を感覚的に理解していない日本人にはピントこないかもしれませんが、とにかく中国人は「我孫子」といわれると、酷い侮辱に感じるのです。
(中略)
皆さんもよくご存知の「操」という字です。
もちろん中国語でも、日本語と同じように「体操」や「操作」などの表現に「操」の字を普通に使っていますが、俗語の中で1文字の「操」(ツアウ)を使うと、間違いなく「ファック」という意味になってしまいます。この「操」の後ろに目的語の「おまえ」とかを付ければ、英語の「ファック・ユー」とまったく同じ使い方になります。
それにしても、なぜ中国人にしろアメリカ人にしろ「ファック」(操)を相手への侮辱だと思うのでしょうか。
ここで私が思い出すのは、猿のマウンティング行為です。立場が上の猿は、よく格下の猿の背中に乗ってセックスするふりをします。オス同士なのにそんなことをするのは決して同性愛行為ではなく、相手が格下であり自分の方が優位にあることを確認するためです。
中国語や英語にある表現はそうした原始の野蛮の痕跡ではないでしょうか。
(引用終わり)
同じ言葉でも国が違ったり状況が違うととんでもない意味になってしまういい例ですね。
へたに外国で変なことをいうととんでもないことになりそうです。
また、「ファック」については由来としてありそうな話です。
翻って、日本語でこれに相当する言葉あるんでしょうか。
すぐには思い出しません。
「死ね」くらいでしょうか。
宋文洲さんも描かれていますが、このような罵り言葉が日本には驚くほど少ないのはなぜなんでしょうか。
もともとあまり争いを好まない農耕民族だったからなんでしょうか。
そのDNAは今でも受け継がれていることは、福田首相の日頃の言動を思い出せばよくわかります。
これが日本人の美点であるわけですが、今の世界ではなかなか生きていけません。
この美点を保ちつつ、闘争心を育てるにはどうすればいいのでしょうか。
なかなか難しい問題だと思います。
|
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年08月22日 20時55分38秒
コメント(0)
|
コメントを書く
もっと見る
|
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
エラーにより、アクションを達成できませんでした。下記より再度ログインの上、改めてミッションに参加してください。
x