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bunakishike
折に触れて聞いた音楽の感想をだらだらと書いています。
音源は主に海外サイトからダウンロードしたハイレゾで、その他観たコンサートや映画などの感想を綴っています。
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今のところアバド最後の録音。
昨年のルツェルン音楽祭でのライブ録音。
しばらく前から聞いているがなかなかレビューする気にならなかった演奏。
20番のアルゲリッチの演奏が気に入らなかったからだ。
そのため、25番も聴かず仕舞いで時間が過ぎて行った。 |
少し前に25番を何回か聴き、やっと書く気になった。
25番は気に入らないところもなく、悪くない。
ただ曲が地味なため印象は希薄だ。
20番は何回か聴いているうちに免疫が出てきたのか、感覚が麻痺してきたのかわからないが、1楽章以外はあまり気にならなくなった。
最初曲を自分の演奏の材料としか考えていないようの思え、腹が立ったことが昔のように感じられる。
1楽章はあまりにも思い入れたっぷりの演奏で、それが鼻につくのが問題だ。
自家薬籠中の物という言葉がある。
アルゲリッチにとってはこれらの曲はそういう曲なのかもしれないが、曲に対する敬意が少ないように感じられた。
実際売れているようなので、この感想は私だけのことかもしれない。
バックはほぼ完璧。
アバドの晩年の特徴である温かみのあるサウンドとフレーズを強調したりすることのない自然体の演奏。
そういう演奏でも必要なところでは聴きてが潜在的に欲している演奏が繰り広げられ申し分ない。
20番の第3楽章後半のテュッティでのホルンの強奏や分厚いハーモニーは聴きてを驚かせるのに十分だ。
こういう瞬間を体験できるのも音楽を聴く醍醐味の一つだ。
しかし、前回のシューマンといい今回といい、一部の勘違い男を除いてモーツァルト管はとてもうまい。
前聴いたときにウイーン・フィルかと思ったのだが、今回も同じ印象を持った。
個人的には急速にうまくなったような気がするが、気のせいだろうか。
ということで、協奏曲とはいえアバド晩年の姿を伝える貴重な記録としてお聴き頂きたい。
話は変わるが、CDケースに裏に若き日のアバドとアルゲリッチの写真が使われている。
彼らが20代の頃から長い間共演してきたことを思い出させるスナップで感慨深い。
Mozart:Piano Concertos k503 & 466(DGG 479 1033)
1.Morzart:PianoConcerto No.25 in C majork503
2.Morzart:PianoConcerto No.20 in D minor k466
Martha Argerich(p)
Orchestra Morzart
Claudio Abbado
Recorded live at LUCERNE FESTIVAL in March 2013 |
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Last updated
2014年05月03日 11時40分48秒
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