トルコ旅行記(その8)
【6月5日】175km/3時間の移動でエフェソス遺跡に到着。エフェソス遺跡入り口。 遺跡のチケット&配置図をもらう。 トルコの南西、エーゲ海を近くに望む丘陵地帯にある小アジア最大の古代都市遺跡:エフェソス。紀元前11世紀に、イオニア人が建設した良港の都市国家だったが、港が土砂に埋まったり、伝染病が発生したため、山間部に遷都。ここで再び街は繁栄し、人口25万人を数えるほどの大都市へと発展したと。街には野外劇場、図書館、体育場のほか、売春宿や公衆トイレ、公衆浴場の跡なども見られ、当時の繁栄ぶりがよく伺えるとのこと。ヴァリウスの浴場。エフェソスの紀元前2世紀に建設されたハマム(浴場)、その後の 時代では、体育館として使用されていたとのこと。オデオン。遺跡での序盤のハイライトは、1,400人収容の音楽堂。150年に建設された当時は、屋根が付いていたとのこと。勝利の女神 NIKE。ギリシャ神話に出てくる天使の翼。ご存知ナイキのマークは彼女の翼からイメージされたもの。ポリオの泉。紀元後1世紀にオフィリウス・プロクルスがC.セクスティリウスに捧げる為に造ったもので、 泉の全面は大理石で覆われた像で装飾されていたらしい。プリタネイオン(市議会堂)。クレテス通り。トラヤヌスの泉の前辺りから撮ったもので、正面に遠くセルシウス図書館が見える。クレテス通りの左(西)側に美しいモザイクのテラスがある。この辺りは豊かなローマ人の豪邸(山手の館)が並んでいたところで、2000年前のモザイクが今も色失せることなく残っているのは、奇跡か。ハドリアヌスの神殿。更にクレテス通りを下ると、右(東)側にコリント式の柱とアーチが印象的なハドリアヌスの神殿(138年頃)が。裕福な市民クインティリウスが皇帝ハドリアヌスに献上した神殿で、美しく繊細な装飾が施された2つのアーチの頂上部には、女神ティケ(前)とメドゥーサ(後)が彫られ、壁面にはエフェソス建国の伝説やそれに因む猪やアルテミスなどが描かれていた。ヘラクレスの門クレテス通りに建つヘラクレスの彫刻を施した左右対の門である。下の写真の勝利の女神ニケのレリーフは、 本来この門のアーチとして飾られていたものだそうだ 。 レリーフが美しく残っていた。大理石の水洗式公衆トイレ。ハドリアヌスの神殿の北側に1世紀に作られたという水洗式の公衆トイレがあった。真ん中にプールがあり、その部分の天井が吹き抜けなっていて、臭気を排出するという。壁に沿ってベンチ状に側溝の蓋のような石板が並んでいて、その上に大きな鍵穴状の便座がある。このベンチ式の洋式トイレには木製の屋根があり、床にはモザイクが施されていたという。セルシウス図書館。セルシウス図書館は、エフェソス遺跡で最も有名で優美な建物。135年、C・ユリウスがアジア州の総督だった父C・セルシウスの死後、父に捧げるために墓室の上に造った図書館で、1万冊の蔵書があり、アレクサンドリアの図書館と肩を並べるほどの規模だったとのこと。図書館の壁に「知識・学識・聡明・高潔」を象徴する4体の女神像があるが、ここにあるのは全て複製で、本物はウィーンにあるとのこと。 図書館の正面右側にあるマゼウスとミトリダテスの門。ガイドブックによると、「アウグストゥス帝の解放奴隷であるマゼウスとミトリダテスが、アウグストゥスへの感謝のしるしとしてこれを建てた」と。大理石の石畳に彫られた娼館の方角を示す足形。マーブル・ストリートの中ほど、商業アゴラ付近の大理石で出来た石畳に娼館への道案内図が刻まれている場所が。足形は方向をあらわし、女性は娼婦、ハートは愛を意味するといわれているとのこと。25,000人の観客を収容できる大劇場。マーブル・ストリートとハーバー・ストリートの交差点の東側には、ピオン山の斜面に造られた25,000人の観客を収容できる大劇場が。演劇の上演だけでなく、市民の集会場としての機能を有していたと。半円形の大劇場は22段の客席を持ち、直径154m、高さ38mもある大規模なもの。 漸く出口に到着。ツアー仲間は木陰で一休みそしてトイレに駆け込む人多し。現在のエフェソスは、トルコの小村アヤソルクの一部。世界最大級の大規模な古代都市遺跡の他に、アルテミス神殿の遺跡、イエスの母マリアが晩年を過ごしたといわれる地に建てられた礼拝堂『聖母マリアの家』、聖ヨハネ教会、考古学博物館などがあり、トルコの重要な観光地の1つになっているとの説明。もっともっとゆっくりと訪れてみたいと思ったのは私ばかりでは無かろう。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・