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カテゴリ:藤沢歴史散歩
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藤沢・高倉、長後散策の日に、少し足を伸ばし境川を超えた横浜市泉区上飯田町にある 寺を訪ねる。 寺の名は浄土宗寺院の無量寺、山号は帰命山長寿院。 無量寺は、鎌倉安養院第十九世深誉上人が文禄2年(1593)に創建したと。 山門。 山門脇右にあるイチョウの大木は、横浜市指定の銘木とのこと。 『浄土宗・帰命山長寿院 無量寺』の文字が刻まれた寺号標石。 鐘楼 本堂。 無量寺は大山道沿いにあり、境内には大山道の道標を兼ねた名号碑があった。 またイチョウの古木や、寛政六年(1794)造立の「出羽三山・西国・板東・秩父百番札所」供養塔、 元徳年間に造立された板碑なども。 晴れた日は境内から大山が良く見えるとのこと。 『無量寺』 と書かれた扁額。 客殿。 客殿前の石仏。 寺紋。 浄土宗の宗紋は『月影杏葉(つきかげぎょよう)』と呼ばれる紋。 この杏葉は法然上人の生家の漆間家の紋に由来し、大正4年(1915)に、 更に飯田神社まで足を伸ばす。 正面鳥居前から。 飯田神社入口のお地蔵さま。 飯田神社前には六地蔵ではなく、七観音が祀られていた。 しかし、東日本大震災によるものか、右端の観音さまは倒壊して?補修されていた。 庚申塔や道祖神も並んでいた。 右端は笠付角柱型青面金剛合掌庚申塔。 上部に日と月と雲、足の両横には雌雄のニワトリ、四つんばいの人らしき下に三猿、 1724(享保9)年。 その隣は笠付角柱型青面金剛合掌庚申塔。 更にその左は唐破風笠付角柱型石塔。 一番左の庚申塔は唐破風笠付角柱型文字「庚申塔」。 庚申塔の右側面には、「北八王子道」、「明治九丙子歳‥三月吉祥 ‥‥」と彫られている。 庚申塔。 庚申供養塔。 飯田五郎家義(12世紀後半)が創建したとも飯田三郎能信が延応元年(1239)に 奉幣したとも伝えられ、境川沿いの多く点在する鯖(左馬)神社の一つだと。 境川流域には、はやり病に罹ると「七サバ参り」をして治すという風習があったと。 明治6年村社に列格、明治20年頃には飯田学校の校舎として供用されていたとのこと。 説明板には 『飯田神社 境川や和泉川沿いに見られる「サバ神社」の一社で、祭神は源頼朝を主神に宇迦之御魂大神・ 大山咋神です。伝承によると、飯田五郎家義がお祀りしたといわれています。 縄文時代、境川沿いは入り海で、神社の境内の土手から縄文後期の人々が使った 注口土器が出土しました。境内の神楽殿は、明治20年頃、飯田学校校舎として 使われていました。鳥居前には地蔵像、七観音像、庚申塔、道祖神が立っています。 (泉区役所)』と。 境内への階段を上る。 階段上には狛犬が。 手水場。 飯田神社鐘楼 昭和46年(1971年)銘が。 飯田神社社殿 飯田神社拝殿 拝殿の頭貫の見事な彫刻。
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Last updated
2021.02.02 18:31:54
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