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JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.11.19
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カテゴリ:海外旅行
中世時代の遺跡として要塞門、ヒサル・カピヤ門『Gate "Hisar Kapia"』と呼ばれる
東の門が残っていた。紀元前4世紀のビザンチン時代のころマケドニアのフィリップ2世に
よって建てられた門。
この場所の最初の門は2世紀に建てられた。 6世紀、ユスティニアヌス帝 の統治時代、
古代の町の要塞システムが拡張され、門が強化された。 
考古学者は、古代ローマの門の基礎のみが保存されていたことを示唆。
ヒサル・カピヤ門の現在の構造は、中世(13〜14世紀)に形成された。 
第二ブルガリア帝国の典型的な建設技術がアーチの上に見えると。
石とレンガの破片でできた石積みで、白いモルタルで満たされているのであった。
門の重要性は、14世紀のオスマン帝国の侵攻後に薄れて行った。 
17世紀と18世紀には、ここプロブディフの裕福な商人がヒサルカピア周辺の要塞の壁の
4遺跡の上に家を建てた。  ヒサル・カピヤ門は、20世紀初頭にその劣悪な状態のために
補強されたと。
この中世の門は今日、プロブディフのランドマークの1つとなっているのだと。
門の右にあったのがこの後に訪ねた『ゲオルギの家』。



『ヒサル・カピア門』のレリーフ、この人物は誰?
ツァンコラヴレノフ(Tsanko Lavrenov (Цанко Лавренов))の文字が。
ツァンコラヴレノフは、1896年に生まれ、1978年に亡くなったブルガリアの画家および
美術評論家。 彼は、20世紀で最も著名で影響力のある、独特のブルガリアの芸術家の1人。



『ヒサル・カピア門』の前の右側の路地を見る。
軒を接して建つ旧市街の建物。
左は奥に行くに連れ階段状に軒を延ばしている『『プロヴディフ地域民族誌学博物館
(Regional Ethnographic Museum Plovdiv)』で右側は
『民族復興歴史博物館(Historical Museum - Exhibition Renaissance)』。



ズームで。



『ヒサル・カピア門』を潜る。



この界隈の旧市街は『プロヴディフの古代都市』として2006年に世界遺産を申請したが
20世紀に造られたものが多いとの理由から、実現していないのだと。



門の入口から『民族復興歴史博物館(Historical Museum - Exhibition Renaissance)』を
振り返る。



『ヒサル・カピア門』をくぐり、振り返る。



更に石畳の坂道を上って行くとT字路に突き当たった。



ここを右折して更に進む。
塀の上の屋根も美しくカーブして。



右手が『プロブディフ地域民族誌学博物館(Regional Ethnographic Museum Plovdiv
(Регионален етнографски музей - Пловдив))』入口門。



門を潜って中に入ると、正面に『プロヴディフ地域民族誌学博物館』の建物が。
『ゲオルギの家』は、『プロヴディフ地域民族誌学博物館』として解放されていた。
イスタンブール出身のハジ・ゲオルギが1847年に建てた屋敷で、どっしりとした石塀に
囲まれていたのであった。門を入ると、緑豊かな庭の奥に見えている屋敷で、
バロック様式と民族復興様式がミックスされており、国の重要文化財指定の建物であると。



中には入らず前庭の左から。



ギロチンの顔出しパネルであったろうか?



『プロヴディフ地域民族誌学博物館』案内板。
『プロブディフ地域民族誌学博物館』は、同種の専門博物館としてはブルガリア国内で
2番目の規模。1917年に創立され1938年からはプロブディフ旧市街のクユムジエフの家を
博物館として使用している。
クユムジエフ家は1995年の政府官報第4号で文化財に指定されている。
豊富な展示は、民族復興期(18世紀~19世紀)のトラキア、ロドピ、スレドノゴリエ地方
の伝統文化を代表するものであると。
ロブディフ地域民族誌学博物館では、絵画、イコン、像、パネル、木彫刻、金属彫刻など100点を
越える芸術作品も所蔵。代表される芸術家は、シメオン・ヴェルコフ(1885年~1966年)、
コスタ・フォレフ、ゲオルギーボジロフ-スロナ(1935年~2001年)、ディミタル・キロフ
(1935年~2008年)、コリョ・ヴィトコフスキー(1925年~1999年)だと。
プロブディフ地域民族誌学博物館は、2000点に上る写真コレクションも有していると。



この日は日曜日でもあり『プロヴディフ地域民族誌学博物館』はかなり混雑していた。



『プロヴディフ地域民族誌学博物館』を出て左を見ると道の奥に
『聖コンスタンティン・エレナ教会』の塔が見えたのでズームで。
プロヴディフの旧市内から、どの方向からでもこの教会の鐘楼が見られるのだと。



『プロヴディフ地域民族誌学博物館』前の坂道。
我々はこの道を登らず、元のT字路方向に戻る。



土産物売り場。



再び正面に『聖コンスタンティン・エレナ教会』の塔が。



『聖コンスタンティン・エレナ教会』の案内板が壁に。



『聖コンスタンティン・エレナ教会』入口。



案内板。



1832年に古い教会堂が取り壊され、そこに新しい教会堂が建設された。それが現在も残る
この
『聖コンスタンティン・エレナ教会』



中に入ると、壁一杯に美しい壁画が。



教会の壁に描かれたフレスコ画が印象的であった。
ビザンティン文化の下に描かれたフレスコ画はブルーを多用しているのであった。





教会内の写真撮影は禁止
壁いっぱいに花や鳥が描かれていた。奥にはイコンがあった。
下記の​写真はネット​からの転載。



教会の敷地内のブルガリアでは珍しかった赤の『紅葉』を楽しむ。



美しい色合いは日本の紅葉のごとし。
黄色から赤へのグラデーションの美。



壁一面に蔓が張り付き真赤に紅葉した葉が。



ストヤン・チョマコフ邸展覧会『ズラトゥ・ボヤジエフ(Exposition 'Zlatyu Boyadzhiev'(Къща-музей „Златю Бояджиев“))』。



ルネサンスの医師であり、著名な人物であるストイアン・チョマコフ博士は、解放前の
ブルガリアの独立教会の最も著名な1人。 
1862-1865年に建てられたチョマックハウスは、プロブディフの将来の世代のための
彼の重要な意志であったと。 



左手には水場のある小高い公園が。この丘には後ほどに。



石畳の坂道を今度は下る。



左手の路地は上り坂。
自由時間となり、ここが集合場所と。



旅友のSさんと
角にあったのが『Art Gallery "La Boheme" Художествена галерия "Бохеми")』。
2階の外壁には壁画が。



右側の路地も坂道。
この奥が、この日の昼食レストランがあった場所。



土産物屋には民族衣装を着た女性の2020年のカレンダーが早くも販売されていた。



Tシャツも。



ブルガリア名物のトロヤン陶器も土産物屋に並んでいた。
東欧ブルガリア伝統の「トロヤン陶器」は、ブルガリアのトロヤン地方で取れる良質の粘土で
作られた伝統的な模様の陶器。



道路脇には垂直に近い石垣の壁が立ち上がっていた。



そして『聖母被昇天聖堂・Църква на Света Богородица
(The Assumption of the Holy Virgin orthodox church)』のドームが見えた。
この教会の歴史は9世紀まで遡れるが、現在の建物は1844年に建てられたもの。
ブルガリア独立前1858年からこの教会では、ブルガリア語での奉神礼が行われたことでも
有名であると。




                              ・・・​もどる​・・・

                  ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2019.12.10 05:31:58
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