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JINさんの陽蜂農遠日記

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2020.08.13
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33.作者不詳 相州浦賀米国船入津之図 嘉永6年(1853)頃。

「嘉永六丑年六月三日申ノ下刻 相州浦賀津江入舩
北亜墨利加ハシトン舩十四日メニ 浦賀ニ入津ト云
嘉永6年( 1853 ) 6月、米艦隊(黒船)入津の模様を記録した墨書画です。
当時の記録等から抜き出して1巻にまとめたたものと思われます(横浜市歴史博物館蔵に類似の
着彩画あり)。「アメリカ人栗(久里)浜上陸行軍ノ図(惣人数五百余人)」の図中、ニ角帽子を
かぶって、下に「惣大将」と記されているのがべリー提督で、同行の童子が、書翰を入れた包を
持ています。ます。巻末には、「久里浜陣押、荒増之図(惣人数一千百有余人)」が記されていて
上陸時の日本側の態勢も記録されています。」

武器、サーベルを持って、それぞれ異なる帽子を被っている。



隊長(右)。



「帽子」と「靴」。



軍隊が行進する時に使用する楽器。



「剣」と「端船」。



外輪蒸気船「サスケハナ号」図。



アメリカ人栗浜上陸行軍ノ図 総人数五百四人。
総大将の横に国書を持った子供の姿も。



日本の「久里濱陣営之図 惣人数一千百有余人」。



「久里浜陣営之図」の「奉行本部」。
川越藩と忍藩の武将たちがこの場所を担当していたと。



「泰平(太平)の眠りを覚ます蒸気船(上喜撰) たった四杯で夜も寝られず」
浦賀沖のペリー艦隊の図。



34.歌川貞秀 東海道勝景従日本橋至荒井 東海道勝景従白須賀京都迄一覧 文久3年(1863)

「東海道の日本橋から荒井宿 (新居とも。静岡県湖西市)までの俯瞰図(大判錦絵3枚続き)と、
白須賀宿(湖西市)から京都までの俯瞰図(同前)をつなげた絵図です。
道を湾曲させることで東海道各地の宿場等の名所を織り込みながら6枚のの画面に収めてしまう
技法は、のちの吉田初三郎の鳥瞰図につながるものと言えましよう。」



東海道勝景従白須賀京都迄一覧。




「江の島」が右手に。



「白き富士山」。



興津~江尻~~岡部~藤枝~島田~金谷~日坂~掛川~袋井~見附。



浜松~舞阪~荒井。



白須賀~二川~吉田~御油。



池鯉鮒~鳴海~宮~桑名。



関~坂の下。



石部~草津~大津~三条大橋。



35.月岡芳年 東海道御幸之図 明治元年(1868)

明治元年( 1868 )に制作された作品で、左上の「西京」(京都)から右下の「東京府」に至る、
明治天皇の東幸の様子を描いています。東海道の各宿が、ひとマスずつ双六風に描かれて
いるのが特徴です。到着地点の「東京府」のマスには日本橋の背景に江戸城も描かれており、
また人物は簡略化され、全てのマス内が鳥瞰的な視点で描かれています。










                              ・・・​もどる​・・・

                  ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2020.08.13 07:10:21
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