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JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.03.24
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「横山家長屋門」を後にして、来た道を戻り、途中右に折れ住宅街に入る。
右手の擁壁の下に石碑群が。



そしてコンクリート擁壁の水抜き穴にスズメの姿が。
この穴に巣を作っているのであろうか。
アンテナ線の様なものを持ち込んでいたが巣造りに使うのであろうか?



そして石碑群の中に左から「道祖神」、「双体道祖神」が。



再び県道401号線・県道瀬谷・柏尾線に入り「新橋」交差点を右折し
相鉄いずみ野線の高架を潜る。



直ぐ左手に急な長い階段の上にあったのが「五霊社」。
横浜市泉区新橋町109。



道路を渡り、階段を上って行く。



階段の上に石の鳥居が。



扁額「五霊社」。
「五」のくずし字なのであろうか?
友人より「​象形文字「五」の甲骨、金文文字​」であると。



「社殿」。
ここ下新橋地域の鎮守さまで日本武尊(やまとたけるのみこと)をお祀りしている。
勧請は、永享三年(一四三一)で、社伝に、「当地の開拓が進んでしばらく経った頃大凶作を迎え、
しかも盗賊の害が多発したので村人一同が対策を合議した時に、一老人が「吾人鼓腹して楽しみと
するも、唯吾力のみにして衣食得べからず。天地神明の加護なくんば之を得ず。足りて驕れば
賊を招くなり。宜しく日本武尊を奉祀して報賽祈請(ほうきんきしょう)し、かっ霊威によりて
鬼賊を封止すべきなり」と述べたので、一同非を悟り、直ちにお宮を建てた。
再び豊作になり、賊害も消滅したという」とある。
享和年間(一八〇一~三)と文久元年(一八六一)に、社殿の改修、改築した折の棟札が保存さ
れている。



社殿の扁額「五霊社」。



欄間の彫刻。



木鼻(右)。



木鼻(左)。



階段横にあった「稲荷大社」。



扁額「稲荷大社」。



内陣の狐様(右)。
咥えている「玉(宝珠)」は霊の力。



内陣の狐様(左)。
咥えている「巻物」は神様からのお言葉。



そして更に県道411号線を南下する。



「新橋町西田橋」交差点を左折する。(行き過ぎました)



上り坂の途中、左側の「新橋ホーム前バス停」手前の植栽の中にあった石塔。



角柱型文字「庚申塔」・・道標: ほしのや/〇〇道。



そして再び新橋町西田橋」交差点まで戻り、県道411号線・瀬谷柏尾道路を
「阿久和川」に沿って東に進む。
すると左手の階段上に石塔群が保護された状態で。



左から「文字道祖神」、昭和7年の建立
中央に「阿弥陀如来立像庚申塔」
右に「」


中央はどっしりとした笠塔婆の付いた「阿弥陀如来立像庚申塔」。寛文8年の建立。

下部には庚申の「申(さる)」で「言わざる・聞かざる・見ざる」の順番で三猿がいた。



右側には蓮の姿が。



左側も同様に。



斜めから。



そして、直ぐ東にあった「富士塚」に向かって進む。



階段を上がっていきうと案内板があった。
向導寺と富士塚
浄土宗の向導寺には、明治22年、中川村が誕生したとき、翌年11月、役場の庁舎が新築される
まで仮庁舎が置かれました。墓地には寺子屋師匠吉田雄山の筆子塚があります。
寺の裏山には、富士山を信仰する集団である富士講の人々が、富士山の遙拝所として、
また信仰の対象として富士山を模った人工の富士塚があります。
塚の前には不動堂があり、阿久和川にかかる不動橋を渡ると永明寺門前に大山道道標が
立っています。」



するとその先に「岡津不動尊堂再建工事の為、1月20日より7月未日まで通行止めと
いたします。」の表示とバーフェンスが設置されていた。



諦めて戻り、「向導寺」に向かって進む。
正面に「向導寺」山門が現れた。



「横浜市指定有形文化財 木造阿弥陀如来座像」案内柱。



山門前右手に「六地蔵」が。



「山門」。



扁額はなんと「徹底山」と。



境内の石仏・光背型地蔵菩薩立像・・1712(正徳2)年。



境内の石仏・光背型地蔵菩薩立像・・1659(万治2)年。



「松本家先祖代々菩代」碑。「山門」を寄進された家のようだ。



手水場。文字は「報恩」であろうか。



「向導寺」の「本堂」。
横浜市泉区岡津町にある向導寺は浄土宗のお寺であり、徹底山本覚院向導寺という。
元京都知恩院の末寺で、善蓮社知誉上人が開山といわれており、創建は知誉上人が亡くなる
天正10年(1582年)以前と思われる。
本尊は阿弥陀如来で、平安期の仏師定朝の作風が見られるとされる。



扁額は「向導寺」。



そしおて「向導寺」境内から「富士塚」に向かった。
「岡津不動尊堂再建工事」の基礎工事が行われていた。



小さな「御堂」が「富士塚」の下にあった。



そして「富士塚」を見る。
4基の富士講碑が建っているとのこと。その中に「ゑぼし岩 食行身禄杓」
(享保11年(1726年)銘)(杓には木偏が付く)の石碑があるが、食行身禄とは伊藤伊兵衛を
いい、関東地方に富士講を爆発的に普及させた人物であると。
富士塚は小さい分、その山姿は富士山に似ている。岡津富士塚とも呼ばれている。
横浜市や東京都には今も富士塚が何箇所か残っているが、これらと比べると小さなものだ。



塚の石碑をズームで。
「ゑぼし岩 食行身禄杓」(享保11年(1726年)銘)。



そして「向導寺」、「富士塚」を後にして東に進むと、左手の小高い場所に小さな社殿が。



「稲荷社」で社の中には石の社が。



そしてその先、民家の庭の中の如くの場所にあった石塔。



「道祖神」の文字が確認できた。
双体道祖神 年代不明
珍しく大きく「道祖神」の銘が、平成六(1994)年境内修復と。



そしてその近くの梅林の白梅は満開であった。



青空に映えて白が輝きを増す。



そして多くのメジロが密を求めて。



メジロの姿をしばし追う。



そして岡津A遊水地の脇を通り坂道を上って行った。



高台からの岡津の街並み。




                              ・・・​もどる​・・・

                  ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2021.05.25 16:22:08
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