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カテゴリ:横浜市泉区歴史散歩
そして次に訪ねたのがスーパーTAIGA 岡津店の前にある「西林寺」。
横浜市泉区岡津町1432。 ![]() 「浄土宗 亀鶴山 一心院 西林寺」寺号標碑。 ![]() 掲示板には 「冬のあとに 春は訪れ 闇の向こうに 光は見える」と。 「冬」を「コロナ」と読み替えられる日を待ちたいと。 ![]() 入口左にあったのは「西林寺」の「斎場」のようであった。 ![]() 「枝垂れ桜(シダレザクラ)。 樹齢百六十年といわれ四月の花祭(八日)ごろ美しい花を咲かせます。 昔はこうした枝垂れ桜の下で歌会を開き和歌や俳句をつくったものです。 それを花の下の和歌と呼んでいます。」 ![]() 春には・・・・!!!。 ![]() 【https://4travel.jp/travelogue/10871200】より 「本堂」。 本尊は、約一四五cmの座像の阿弥陀如来で、安永五年(一七七六)、品川願行寺十五世 檀誉性善作といわれている。戸塚区郷土誌(昭和四十三年刊)によると、西林寺は、 長禄四年(一四六〇)の開創で、開山は、慶運寺開山聖観の弟子で、新橋町の中丸氏から出た 円蓮社団誉閑悦といわれている。 開創当初は、念仏堂であったが、三世称念によって一寺になったということである。 この称念も新橋町の中丸氏の出身で、左衛門尉道昭の子で、晩年には浄土宗本山知恩院の山上に 一心院を開いた捨世派(しゃせいは)の鼻祖(びそ)である。 寺の入口にあるしだれ桜は有名で、花の咲く頃には、見物客で賑わっている。境内には、 江戸時代の後から明治初期にかけて寺子屋「不及庵稽古所」を開き、明治六年に開校した小学校 「岡津学舎」の先生をした原田由右衛門の碑「朴翁居士之碑」や西林寺住職で寺子屋の師匠を していた栄隆の筆子塚がある。 また、境内には「ほしのや・ぐみょうじ道」の道標を兼ねた出羽三山供養塔がある。
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Last updated
2021.05.25 16:22:51
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