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カテゴリ:大和市歴史散歩
【大和市の神社仏閣を巡る】目次
私の住む藤沢市は、海岸から反時計回りに鎌倉市、横浜市戸塚区・泉区、大和市、綾瀬市、 海老名市、寒川町、茅ヶ崎市の6市1町と市境を接している。 ![]() コロナ禍で不要不急の外出の自粛要請の中で、自分の体力維持も同時に重要であるため 3密(密集、密接、密閉)、そして飛沫感染によるリスクの小さい、屋外の散歩として マスクの完全着用の下での隣接市の神社仏閣を訪ねることを始めているのである。 これまでに、横浜市戸塚区、泉区にまたがる「鎌倉古道」そして綾瀬市の神社仏閣を歩いたが、 この日は、北部で隣接する「大和市」の神社仏閣を訪ねる目的で散策に向かったのであった。 この日は3月18日(木)。 ![]() まずは藤沢市内の小田急線「長後駅」で下車。 ![]() 長後駅東口の人の姿は少なかった。 ![]() 大和市内にある小田急線「高座渋谷駅」まで行き下車しても良かったが、引き返す形になるため 「長後駅」で下車し、以前に訪ねている藤沢市内の神社仏閣を再度訪ねながら、小田急線に沿って 「大和市」に向かって「旧藤沢街道(八王子街道。滝山街道とも)」・現「長後湘南台線」を 北に向かって進む。 ![]() そして最初に訪ねたのが「泉龍寺」。 長後駅から約800mのところにある、旧藤沢街道(八王子街道。滝山街道とも)に 面した浄土宗の寺。 藤沢市長後968。 ![]() 境内の銀杏の老木。 ![]() 正面にコンクリート製の「本堂」。 ![]() 「本堂」。 ![]() 「本堂 内陣」。 ![]() ズームして。 ご本尊は阿弥陀如来。 ![]() 境内の「石灯籠」。 ![]() 「六地蔵」。 ![]() 境内墓地。 ![]() そして「泉龍寺」の隣りにあったのが「藤沢市消防団第二十五分団」。 三つある長後分団の一つ。 ![]() 「旧藤沢街道(八王子街道)」の左手にあった石碑。 ![]() 正面から。 ![]() 「道祖神」。 「宿上分道祖神講中」、「昭和六十二年一月十四日」 の文字が。 藤沢市長後1027。 ![]() 「青面金剛庚申塔」。 笠付角柱型 日月 三猿。 左側面には「寛延四未天十月吉日」(1751)、右側面には「かしをみち」と。 ![]() 「三猿庚申塔」。 唐破風笠付角柱型 「奉供養山王廿一社」。 右側面には「延宝元年」(1673)と。 ![]() そして「道祖神」に突き当たる道を入り東に向かうと左前方に朱の鳥居が。 ![]() 「正一位稲荷大明神」。 藤沢市長後1034。 ![]() 「社殿」。 稲荷社であろう。 ![]() 「社殿内陣」には狛狐が。 ![]() そして住宅街を更に東に向かって進む。 ![]() 道路にあった「藤沢市消防本部 防火用水槽 マンホール蓋」。 黄色地に水玉模様、はしご車と放水中の消防士、市章と 「防火用水槽」「藤沢市消防本部」の 表記があり、受枠に広幅の斜線?が入っている。 ![]() 「汚水管マンホール蓋」 市の木クロマツをデザイン。中央の丸の中に藤沢市の市章とその上下に「車道」、「おすい」 の文字が入っていた。 ![]() 「雨水管マンホール蓋」 蓋全面に市の花「ふじ」をデザイン。 中央の市章の上下に「車道」、「あめ」の文字。穴が2個開いていた。 2個の穴は、大雨時の圧力抜きであろう。内圧でマンホール蓋が飛び出さないように。 ![]() 「神奈川県営水道の消火栓マンホール蓋」。 県の花ヤマユリ、県の木イチョウの葉、県の鳥カモメをデザイン。 ![]() ・・・つづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.09.05 05:59:44
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