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JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.05.26
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カテゴリ:茅ヶ崎市歴史散歩
【茅ヶ崎市の神社仏閣を巡る】目次

そして「大岡越前通り」を先程訪ねた「妙伝寺」の角まで戻る。



この先を左に入り南に向かって暫く進むと右手に「堤貝塚」案内板が。
写真左のフェンス下が堤貝塚の東斜面。



「堤貝塚(十二天A遺跡)
この台地(海抜30m~34m)には貝塚を伴う縄文時代の集落跡があります。貝塚は台地の
両佩にあって、東側の貝塚(本説明板前)はこの台地縁辺に接した斜面にのこされたもので、
過去、昭和十三年、十四年に調査されています。
西側のものは台地の平坦部から斜面へかけてのこされており、この貝塚の台地平坦部の一部は
昭和三十四年、三十七年に調査され、台地の中央より東に寄った所から竪穴住居跡(後期・堀之内
Ⅱ式期、三千五百年~三千年前)一基が見つかっています。また斜面の貝層下から大型の石囲いが、
竪穴住居跡が見つかり、さらに五十七年には既存の道路下にも貝層が確認されています。
貝塚をつくっているものは、大部分がダンペイキシャゴという巻貝で、ほかにはハマグリ、
バイ、ツメタガイなどがふくまれ、そのほか魚骨(マダイ、カツオ等)、獣骨片(イノシシ、
ニホンジカ、イヌ、サル等)などが見られました。
ここからの出土品は市文化資料館(中海岸ニ丁耳)に展示されています。」



「茅ヶ崎市指定史跡 堤貝塚(東斜面貝塚)
貝塚の時代  :縄文時代後期( 3500年前頃)
立地     :北に伸びる尾根の東側斜面 海抜約30m
所在地   :茅ヶ崎市堤字十ニ天1467番1
貝の種類  :ダンべイキサゴが主体、他にハマグリ、ツメタガイ
                   ワスレガイ、バイガイなど
伴出遺物     :縄文土器(堀之内Ⅰ~Ⅱ日式土器を主体)
      骨角器(鯨骨製品、釣り針など)
      その他、サルボウ製の貝輪など
・昭和13年、14年に考古学者の赤星直忠博士によリ発掘調査された
 茅ヶ崎市では最初の考古学調査地点でもあリます。
 貝塚は斜面に造られた竪穴住居跡に残されていました。
 平成27年6月1日に茅ヶ崎市の史跡に指定されました。」



航空写真「堤貝塚と十二天古墳群」。
◯の位置が堤貝塚、◯▢が「十二天古墳群」。


   【http://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/kouhou/khf120210/hiroba01.html】より

里山の奥の細道に入ると、「堤十二天古墳群」の円墳と前方後円墳の2基の高塚古墳の
案内板・案内柱があった。



「堤十二天古墳群
    茅ヶ崎市堤字十二天
ここに見られる二つの高塚は古墳時代後期(六、七世紀)の古墳です。これらの存在はかなり
以前から知られていましたが、その実体は不明でした。
昭和五十年三月に行った調査の結果、南の一基は、その外形とすそ部をめぐる周溝の形
(長方形)から前方後方墳(全長約30m、巾約15m、墳頂部の高さ標高39.5m)と考えられて
います。北の一基は円墳(径約20m、墳頂部の高さ標高36.9m)です。
二基の墳丘は北に向かって緩やかに傾斜する尾根上の台地に、自然の地形を利用して、
約19メートルの間隔で造られています。
これらは墳丘の規模からみて、茅ヶ崎市北部を中心とした小領域を支配する中・小首長(豪族)
二世代の墓と考えられます。」



これが径約20m、墳頂部の高さ標高36.9mの円墳であろう。



全長約30m、巾約15m、墳頂部の高さ標高39.5mの前方後方墳。



古墳の奥には、長い墳丘が続き、古墳時代の様子が保存されていた。



元の道まで戻ってさらに進むと、このテニスコートのある場所が「​​​堤貝塚​​」👈リンク の
一部であると。



テニスコートの管理事務所の前に案内板が2枚設置されていた。



「神奈川県指定 堤貝塚
平成四年二月十四日 指定
指定地面積 五百平方メートル
本貝塚は茅ヶ崎市堤字南谷及び十二天に所在する縄文時代後期前半の貝塚で、小出川の一支流に
北面する標高三十数メートルの舌状台地の基部に立地しています。
この台地の平坦部を挟んで東西両斜面に貝塚が残されています。指定地は、西側の貝塚の一部で、
貝層は南北三十五メートル×東西十メートル程の広がりをもっているものと思われます。
東側の貝塚は昭和十三年と十四年に貝層の試掘調査が行われました。西側の貝塚は、
昭和三十四年に貝層の試掘調査が、三十七年には平坦部を含めた発掘調査が行われ、平坦部の
東寄りに竪穴住居跡が一軒発見されました。また、昭和五十四年には貝層の範囲確認のため、
平坦部の西側と指定地内の一部が発掘調査され、貝層及びその下に竪穴住居跡、石囲い炉が確認
されました。さらに昭和五十七年の調査では、指定地東側の道路下で貝層が確認されています。
貝層は台地縁辺から斜面にかけて堆積し、ダンベイキサゴを主としてバイ、ツメタガイ、アカ
ニシ、サザエ、ハマグリ、カキなどの貝類や、サメ、マイワシ、ボラ、カツオ、スズキなどの
魚類の骨、イノシシやニホンジカなどのホ乳類の骨も出土しました。
相模湾沿岸には縄文時代にいくつかの貝塚が形成されましたが、今日まで残っているものは数
少なく、本貝塚はそのひとつであり、貝層の規模も大きく、保存状態もおおむね良好で、当時
の人々の生活を知るうえで極めて重要かつ貴重な遺跡であります。
● お願い
   この史跡の現状をみだりに変更したり、荒らしたりしないで、大切に保護して下さい。」



「堤貝塚
ここから出土した主な動物(骨)
哺乳類  イノシシ・ニホンジカ・ニホンイヌ・サル・マイルカ
魚類   タイ類・カツオ・サメ類・トビエイ・マイワシ・ウツボ・ボラ・ブリ・スズキ・メバル
     ・・・
貝類   (巻貝)ダンベイキサゴ・バイ・ツメタガイ・アカニシ・サザエ
     (二枚貝)ハマグリ・カキ・シジミ」



出土した土器・深鉢。
堤貝塚は、縄文時代後期(約3500年前)の遺跡である。規模が大きく、保存状態も良好な
貝層が今も地下に残っており、神奈川県でも有数の貝塚として平成4年に県指定史跡と
なった。この貝塚を残したムラは大規模と考えられ、当時の生活を知る上で、とても貴重な
遺物群が多量に含まれていることが分かった。貝塚はダンベイキサゴが主体で、バイやカキ
の他、鹿角(ろっかく)製のモリや釣針、魚骨、イノシシやイルカなどの獣骨類が出土した。
また石斧、木の実などをすりつぶす石皿や磨石(すりいし)、網の重りにする石錘(せきすい)
や土錘(どすい)なども多く出土した。
この土器は、昭和37年の調査で発見された堀之内1式期の特徴をもつ朝顔形の深鉢で、
考古学の概説書などにも同時期の典型として紹介されてきた。茅ヶ崎の縄文時代を語るには
欠かせない土器であり、考古遺物としては初めて重要文化財に指定された。
土器の文様は、外面の上半部を鎖状の隆帯で区切り、S字状の渦巻き紋が棒状具で丁寧に
充填(じゅうてん)されている。文化資料館に常設展示されている。
しかし、文化資料館は現在休館中なのである。



「十二天社」。
神奈川県茅ヶ崎市堤1486。



テニスコートの管理事務所の横を通り「小出県道」に向かって坂道を下っていくと、
右手に小さな「稲荷社」があった。



朱の鳥居が鮮やか。



中には狐様が数体。



そして「小出県道」を渡り「堤 南久保の道祖神」も訪ねた。
神奈川県茅ヶ崎市堤2515。



社の中の地蔵様。



「文字道祖神」。



そして「双体道祖神」。



道祖神であっただろうか?
茅ヶ崎市堤3084。



そしてこの日の予定を無事に全て完了し帰路に。
近くの神奈中のバス停「長谷戸」から小田急線・湘南台駅へ向かうこととする。
これも当初の予定どおり。



バスの時間は、この日は日曜日であったので湘南台西口行きの16:25。
5分ほど遅れて到着。



そして小田急線・湘南台駅で乗り換え。



17:30に帰宅。折しも南東の空には虹の姿が。
久しぶりに虹を見たのであった。



                              ・・・​もどる​・・・


                  ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2022.10.09 00:00:56
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