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JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.10.10
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カテゴリ:国内旅行
次に訪ねたのが「瀬嵩埼(せだかさき)灯台」。
国頭郡国頭村安田。



瀬嵩埼灯台は沖縄本島の最東端に位置する場所にあった。
ここからの眺めは青々とした海と太平洋が見渡せる絶景スポット。



「瀬嵩崎燈台
初点 昭和43年4月
改築 昭和57年3月」



こちらにも「瀬嵩崎燈台」。



青い海に白の波筋が幾重にも。



安田の浜にあるテトラボットが円を描くように見事に並べられていて、透明度の高い
海の青いコントラストが美しい素晴らしい風景が見渡せたのであった。
この風景を背景に、結婚式の前撮り写真を撮っているカップルの姿もあった。



「安田漁港」を見る。



「安田漁港」の先には「安田海岸」その先に岬が。



ギンネム(銀合歓)であろうか、白い小さな球状の花が。



和名はネムノキに似て、白い花を咲かす様子を雅語的に表現したところから。
中南米が原産地だが、世界中に移植され現在世界のあらゆる熱帯、亜熱帯のアルカリ土壌地帯に
繁茂している。
日本国内には小笠原諸島と沖縄県に人為移入され、その後野外に逸出して帰化した。
近年は南九州まで分布を拡大しているようである。



更に県道70号線を進むと風力発電設備が2基姿を現した。
沖縄新エネ開発株式会社 楚洲風力発電所」。
設備容量:3,600kW(1,800kW×2基)
メーカー:エネルコン社(ドイツ)



カーブの先に2基目が。



「楚洲(そす)の浜」が右手に。



その先に「赤崎」。



「楚洲の浜」の先に国頭郡国頭村奥の岬が現れた。
砂浜には何列かの黒き筋が。
令和3年8月に発生した小笠原諸島・福徳岡ノ場の海底火山噴火に由来するとみられる
軽石が沖縄周辺のこの海岸にも押し寄せたのであろう。



白波の筋が青い海に映えていた。



ニライカナイの海 アダンビーチ」に車を停める。
「ニライカナイ」とは海のはるか向こうや、または海底にあるとされている、理想郷のことを
指す言葉とのこと。沖縄特有の信仰に深く関係する言葉で、生命の生まれる場所や死後に行く
場所と考えている人が多いそうです。またニライカナイにいる亡くなった祖先は死後7代で、
守護神に生まれ変わるとも考えられているのだと。
海の向こうにあるニライカナイからは毎年、神様が沖縄に来訪し沖縄の人々の生活に、さまざまな
恩恵を与えてくれるのだとか。
「アダン」とは見た目がパイナップルに似ている「アダン」の木のことか?



沖縄県国頭村 田名展望台
国頭村は沖縄県の中で、西表島と並び山を中心にした自然が最も豊なな村であります。
ここ字楚州は国頭村の東海岸(太平洋側)北寄りにあって字の北側田名から
南側我地に至る細長い集落です。
この地域は田名という部落名でしたが、県道(70号線)が開通する以前は
生活環境が困難、難儀であったと言われ、沖縄本島で最初の離部落となったようです。
部落を離れた人々は山原の自然が忘れられず在那覇楚州郷友会、そして地元の人達の
御協力によりこの土地が提供され、その創意によって展望台が作られました。
​晴れた日には遠方に与論島が見え、夜になると満天の星が見え星の降る​
​ビーチと変わります。ニライカナイの海、(水平線の彼方なら幸せが来る)​
右前方には夫婦岩があり、男と女の縁結び、子宝の祈願、家庭円満、健康長寿、
交通安全等々の祈願者が訪れます。
時間の止まったタイムリゾート、アダンビーチ」



「時折ヤンバルクイナの鳴き声も聞こえます。
展望台を訪れた皆様が山原の自然を満喫出来れは幸いです」。



夫婦岩」。



「夫婦岩」方向を見る。



男岩。



女岩。



これから行く北方向の海岸線を見る。



米軍のヘリコプターであろうか。



そして更に国道58号を利用して車を進めると「辺戸岬」が近づいて来た。
辺戸の安須森の山裾の先には巨岩が肌を剥いていた。



途中にあったのが「宇佐浜遺跡」。



「宇佐浜(うざばま)遺跡」案内板。



「宇佐浜遺跡  1972(昭和47年)5月15日 国指定史跡
沖縄本島北部国頭半島の先端部は、高さ20メートル以上の断崖となって海にのぞんでいる。
宇佐浜遺跡は、この断崖直上にあり、南から北へゆるやかにさがる傾斜地にある。

この遺跡では、昭和45年琉球政府が発掘調査を行っている。その際、遺構として一辺
約3メートルの方形の周囲に、幅約0.8メートルで帯状にこぶし大の砕石をめぐらした
ものが検出された。内部は周囲より0.3メートル低くなっており、炉跡かともみられる
焼土部分が一個所発見されている。調査者は住居跡ではないかと推定しており、先史時代の
遺構としては沖縄諸島でははじめての発見である。出土品には、石器と土器があり、
石器には磨製石斧のほか石皿が注意をひき、土器では外耳土器の出現と壺型土器の増加が
やや著しい。遺構の年代はほぼ奄美諸島の宇宿上層式に平行し、本土の縄文時代末期
あるいは弥生時代はじめにあたる時期のものと推定されている。したがって南島先史時代に
おいて縄文時代から弥生時代への転換期の様相をしめす代表的遺跡といえる。遺跡の現状は
畑と山林で、約4600平方メートルである。」。



「史跡 宇佐浜遺跡」碑。
おもだったものは石碑が建っているだけで、あとは草に覆われていた。



近づいて。



そして「ヤンバルクイナ展望台」が見えた。



ズームして。
村の鳥をモチーフにした高さ11.5mの展望台であり、辺戸岬等の雄大な景勝地を望むことが
できるとのこと。
首と胴体に展望窓がありようだ。



南側の「世皮崎」方向の海岸線を見る。



そして「辺戸岬」方向。




                              ・・・​もどる​・・・


                  ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2022.10.13 00:31:05
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