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JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.12.23
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カテゴリ:国内旅行
豪雨の中、糸満市真壁にあった「真壁公園」を後にして県道7号線、県道250号線を
国道331号まで戻ると、左手にあったのが「糸満市役所」。
南面は全面にPC柱と太陽光発電モジュール、さらに屋上にも太陽光発電モジュールを装着し
水平ルーバーで巨大な日よけスクリーンを構築、さらに外装に強い日差しを遮るルーバーや
有孔パネルを取り付け、沖繩ならではの構造となっていた。
糸満市潮崎町1丁目1。



国道331号を暫く北上する。那覇市金白にあった「YUI BLD」が右手に。



「明治橋」を渡って進む。
左折すると「那覇ふ頭」へ、右手には「ゆいレール」が現れた。



ゆいレール・旭橋駅の手前を右折する。
この後、第一牧志公設市場を訪ねたが、一方通行が多々有り、道に迷い諦めて引き返す。



再び旭橋駅まで戻り、先程と反対方向に進む。



沖縄セルラースタジアム那覇」を左に見る。
奥武山公園内にある、沖縄唯一のプロ野球ナイター公式戦の開催可能な本格的な野球場。
両翼100m、センター122m、スタンド席は15,000席で最大3万人収容可能と
県内最大級の収容数を誇る。



そしてレンタカーの返却の為に「昭和シェル小禄金城SS」にて満タン給油し
「ABCレンタカー那覇空港営業所」に無事到着。時間は16:40。
最終日の走行距離は110km。



そして頑張ってくれた車を返却し、送迎車で送ってもらい、
那覇空港 国内線ターミナル」に到着。



那覇空港ではジェットスターカウンターにて係員のいるチェックインを完了し、
荷物検査を無事通過し、待合室に向かう。
途中レストランで夕食を楽しむ。



ロイヤル那覇空港店。



タコライスと沖繩そばのセットを楽しむ。



タコライス。
タコライスとは「タコ(蛸)めし」と勘違いされている人もいるようであった。
タコスで使う具材とサルサ(ソース)を、皿に盛ったご飯の上に乗せて食べるのがタコライスであり、
タコス+ライスと言うことでタコライスと名付けられた。
ちなみにタコ(taco)はスペイン語で、軽食を意味すること等を知ったのは、2008年にスペインに
旅行した時であったことを懐かしく想い出したのであった。



沖繩そば。
そば粉を使わず小麦粉だけを使い、かん水で練って作る太めの麺と、豚骨やかつお節からとっ
た濃厚なだしで仕上げたこってりとした汁が特徴。
麺の上に乗せる具は、豚の三枚肉の煮つけ、棒かまぼこ、ネギ、紅生姜が定番。
この後、土産として購入する。



そしてモズク。



白身魚の春巻きであっただろうか。



「沖繩のシンボル 首里城再建」案内の横断幕。
首里城が火災により正殿をはじめ9棟が焼失したのを知ったのは、4年前の2019(令和元)年の
10月31日(現地時間)のカタールのドーハ空港のテレビ放送であったのだ。
それは「秋彩ルーマニア・ブルガリア8日間の旅」の帰路。
焼失から約3年が経過し、復元作業は着々と進んでいるとのこと。
今秋には正殿の本体工事が始まり、4年後の令和8年秋に完成する見込であると。



そして成田空港までの帰路便・ジェットスター。



そして搭乗時間になり機内へと向かう。



定刻の19:34過ぎに那覇空港を離陸。



那覇の街ともしばし?の別れ。



そして機窓からの夜景を見ながらしばしの眠りについたのであった。



そして順調に飛行し成田空港に定刻通り到着。



「WELCOM TO CHIBA」と。



手荷物ターンテーブルに向かって進む。



そして無事に荷物も受け取り、第二ターミナルへの連絡バス乗り場に向かって進む。



パーキングの送迎車で成田空港駐車場 USAパーキングに到着し、旅友の愛車に乗り換え帰路に。
成田料金所を通過。時間は22:55。



左手に見えたのが東京ディズニーランドホテル。
時間は23:29。



この料金所は?



そして横浜新道戸塚料金所を通過。
時間は0:01。



そして旅友に自宅まで送ってもらい無事帰宅。
時間は0:15。

幸いにも、台風一過の時に重なり、全行程を車でそして旅友の巧みなハンドリングで沖縄本島を
ほぼ一周したのであった。
青い空に白い砂浜、エメラルドグリーンの海をこれでもかと楽しむことが出来たのであった。



しかしながら、遠くない昔、悲惨な戦争があったことに目を背けることは出来ない
「沖縄戦を学び、平和を考える旅」でもあったのだ。
日本で最大の地上戦が行われ、日米双方およそ20万人が命を落とす凄惨な舞台となった沖縄には、
今なお様々な戦跡が沖繩県内各地に遺されているのであった。
至るところで沖縄戦で亡くなった人々の魂を祀った慰霊碑に出逢ったのであった。
きれいに手入れされたものだけでなく、ハブが出そうな草むらの中、今にも朽ち落ちそうな
ものまで、その姿も実に様々なのであった。

この旅行の最終日には糸満市真栄里にあった「白梅之塔」を訪ねたのであった。
国道54号からはずれてひっそりと佇む「白梅之塔」。左奥には「納骨堂」、塔の手前には無名の
戦没者の遺骨が収められた「萬魂之塔」があった。
映画化され全国的にその名が知られることとなったひめゆりの少女たちばかりが昔から取り上げ
られて来たが、沖縄戦での学徒少女たちの悲劇はひめゆりだけではないことを知ったのであった。
同じように学徒として前線にかり出された県立第二高等女学校の白梅部隊の少女たちもまた、
多くは非業の最期を迎えたのだ。白梅部隊の最も多くの犠牲者が出た真栄里の地に慰霊塔が
建てられていた。慰霊塔の横には白梅の少女たちが最期自決をした壕もあった。
ひめゆりと白梅部隊の他にも、なごらん、でいご、すいせん、せきとくの学徒部隊があり、
実に多くの少女たちが犠牲になったことをこのブログを書きながら知ったのであった。



沖縄本島はもちろんのこと、離島を含めて沖縄はその全部が戦争の傷跡と言っても過言では
ないのであった。戦後の歩みの中で、戦争の処理がなされぬまま、かつて戦場であった地や
かつて多くの人々が命を落とした地の上に、コンクリートが流しこまれ、町や基地が整備
されているのだと。一方、何の保存も受けないまま自然の力の中で朽ち落ちていく戦跡も
数知れず。米軍基地の中のものは触ることができない、さらに私有地にあり許可なく立ち入り
できないものや、戦後70年近くも経つ中で亜熱帯の自然の力の前に人間の存在はあまりにも微力。

そして下の地図は、中国、韓国から日本を南方向に見た地図なのである。
いわゆるこの「逆さ地図」は、大陸の中国人の目に、日本列島がどのように映っているのかを
明解に説明しているのである。まず気づくのは、日本列島が中国の沖合に壁のように鎮座し、
中国の「太平洋」への進出を阻んでいる事実である。



そして、白い部分が日本の「排他的経済水域(EEZ:Exclusive Economic Zone)」。
「排他的経済水域」とは漁業をしたり、石油などの天然資源を掘ほったり、科学的な調査を
行ったりという活動を、他の国に邪魔されずに自由に行うことができる水域。
海に面している国は、自分の海(領海)の外側に決められた幅を超こえない範囲で
「排他的経済水域」を設定することができるのだ。



1990年代以降、中国は海の権益を核心的利益だとして、海軍力の強化に取り組んできた。
めざすのは太平洋、インド洋など外洋への進出である。
黄海に面した中国山東省の青島には、中国人民解放軍の北海艦隊の司令部があり、ここを拠点に
日本近海の東シナ海や西太平洋で活動している。とりわけ、太平洋への進出は外洋型の海軍を
めざす中国にとっては最も重要であり、そのためには次の4つのルートを通って、太平洋に
抜けなくてはならない。すなわち、

 ①日本海からオホーツク海を経由して太平洋に抜けるルート
 ②日本海から津軽海峡を抜けて、太平洋に出るルート
 ③沖縄県の宮古島と沖縄本島の間の広い海域を抜けるルート
 ④台湾海峡を抜け、南シナ海を経由して、太平洋に抜けるルート

以上の4つである。
このうち、中国にとって、沿岸国を刺激せず、迂回せずに太平洋に出られるのは③の沖縄本島と
宮古島の間を抜けて行くルートである。そして、そのルートの入り口近くに尖閣諸島があるのだ。
つまり、中国が沖縄県の一部の領有を主張する背景には太平洋進出の拠点を確保しようとする
軍事的思惑があることは間違いない。
しかし、③の沖縄ルートには沖縄米軍基地が、②の津軽海峡ルートには三沢米軍基地があり
絶えず中国・北朝鮮・韓国・ロシア等の船の通過を見張っているのである。



今回、巡った戦跡は沖縄のごく一部のものであったが、機会があればぜひ再び足を運び沖繩で
起きた戦争にさらに向き合ってみたいと感じているのである



そして、ロシア政府のウクライナへの武力侵攻を決して許すことはできない。
戦争は、かけがえのない命と人々の平穏な生活を、無残にも一瞬にして奪う。
幼い子どもたちまでもが命を奪われ、多くの尊い命が犠牲となる惨状を目の当たりにし、
世界は依然として深い悲しみに包まれているのだ。

ロシアの侵攻が続くウクライナにも、クリスマスの季節が訪れた と先程のテレビのニュースで。
首都キーウ(キエフ)では至る所にクリスマスツリーが立ち始めたが、ロシア軍の
インフラ攻撃による電力不足が影響し、きらびやかな電飾はなし。
戦闘が続き、祝賀ムードには程遠い。避難生活を送る人々や、前線で戦う兵士の帰りを待つ
家族は、それぞれの無事を祈り、静かにクリスマスを迎えるしか選択肢がないのだと。
いや、停電による深い闇の中で凍えているのである。

一刻も早い停戦を求め、そして平和な日常を取り戻すため両国の平和的解決が行われることを
心から願うのだ。



そして今年2022年の「今年の漢字」は【戦】。
ロシアのウクライナ侵攻により、「戦」争の恐ろしさを目の当たりにした一年であり、
円安・物価高による生活面での「戦」い、スポーツでの熱「戦」・挑「戦」も注目されたことが、
総じて応募者の選定理由だという。





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Last updated  2023.01.19 06:29:42
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