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JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.12.29
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カテゴリ:国内旅行
「唐沢山レストハウス」前にあった「 唐沢山城跡 駐車場」に駐めてあった車に戻り
来た道・唐沢山公園線を少し下り「鏡岩」前で車を止める。
「唐沢山県立自然公園ハイキングコース案内」板。
先程訪ねた「唐沢山神社」までは0.4kmと。



そして「鏡岩」の周囲を巡る。
鏡岩は山頂に程近く、レストハウスのすぐ下にあった。
名前の由来には『校正続撰佐野記』に「ここに城を修理して築かんとせらるる時よりして、
此石光輝く事おびただし。…細密之事までもよくうつり明らかなるゆゑに鏡石と名付たり」と。



「鏡岩
上杉謙信が唐沢山城をせめたとき西日が反射してせめることが困難であったという
物語から名付けられた」と。
唐沢山城の戦いは、永禄3(1560)年に始まり元亀年間にかけて、ここ下野国唐沢山城において、
越後の上杉謙信と下野の佐野昌綱の間で約10度にわたって繰り広げられた戦い。



この日の「鏡岩」は雨に濡れて光っていたが・・・。



崖の直上の「鏡石」。
かつては「鏡石」からの岩脈がレストハウス側まで延び、直進を遮っていたものと。
ここから城内へ進入するには右手に折れ、レストハウス側に向っていった。
進行する者に対しては上方の天狗岩、正面の鏡岩、進行方向のレストハウス側から
見張ることができた。状況によっては容易に、そして効果的に攻撃を加えることもできた。
自然の地形を巧みに利用し、このような構造をつくりだしていると。
この場所は城内への重要な入口の一つになるため、非常に手の込んだ構造になっているのだと。



崖の直上の「鏡石」まで恐る恐る行き、「栃本町」の街並みを見るが見透しは悪かった。



奥まで進んで「鏡岩」を振り返る。



この「鏡岩」の向こう側が道路。



そして、来た道を引き返し、北に向かって坂道を再び登る。
そして県道115号線・田沼唐沢山公園線で栃本町方面に向って坂道を下る。



坂道を下り終わった場所にあった「佐野市営 無料駐車場」で車を止めた。
駐車場にあった「国指定唐沢山城跡案内図」。



「唐沢山周辺案内図」。



駐車場の前には大きな石鳥居、石灯籠が立っていた。



「関東ふれあいの道 唐澤山神社➡」と。



石燈籠の左横にあったのは歌碑であっただろうか。
「むかで退治」伝説や天慶の乱の英雄として有名な藤原秀郷公を歌ったものか?



こちらが「唐澤山神社」へと繋がる「栃本町」側からの参道であり、一の鳥居であることが
理解できたのであった。
「東京農業大学フィールミュージアム唐沢山管理事務所」の案内板もあった。
東京農工大学農学部附属演習林は、1939年に東京高等農林学校附属演習林として設置されてから
83年となる。群馬県、栃木県、埼玉県にある4つの演習林は、首都100 km圏に位置しており、
地形や植生、森林施業において異なる特徴を有している。
現在、演習林は、農場と合わせて屋根のない博物館としてフィールドミュージアム(FM)と
呼ばれ、野外での実験実習や研究の基盤として活用されているのだと。
森林保護・樹木医学実習や自動枝打ち機の操作等の学習もこのFMで行われているとのこと。



そして次の目的地の「磯山弁財天」に向かって「国道293号」で「田沼町」を進む。



そして「磯山弁財天」下にあった「まちの駅 無料駐車場」に到着し散策開始。
駐車場入口にあった銀杏の黄葉も見事であった。



隣にあった旧養魚池?の水面に映る「逆さ紅葉」が美しかった。



何を養魚していたのであろうか?イワナ、ニジマス?



透明度の高い水質、紅葉のこの時期になるとより一層鮮やかに彩られているのであろう。
まるで水彩画の中のような景色を楽しめたのであった。



ズームして。
水が美しい理由は、池の底にある古生層の石灰岩から湧き出ている清流のようであった。
厚い土の層がフィルターとなり、湧き水はろ過されているのだ。
その美しい水は、付近の料亭やここ旧養魚場などにも使用されているようであった。



道路の反対側の水路にいた小さな魚を発見し、シャッターを押したが・・・。



道路の先に「磯山弁財天」への参道が見えて来た。



棚からは数え切れない風車(かざぐるま)がぶら下がっていた。
久しぶりに見る風車(かざぐるま)、風が欲しかったのであったが・・・。



右手にあった掲示板には
「佐野市出流原の磯山の中腹に建つ『磯山弁財天』。その麓に湧き出る名水は現在は『弁天池』と
呼ばれ、日本名水百選の一つに選ばれていて、一帯は『赤見温泉』としても知られている。
その弁財天と弁天池を描いた120年以上前の絵図がこのほど発見され、磯山弁財天観光協会の
尾花栄さん(一乃館社長)や地元の歴史を研究している須藤三三夫さんらの尽力によって復刻された。
この原版の発行は明治32年。銅版画で印刷されたもので、もとはモノクロ。今回復刻された絵図は
須藤さんによって水彩色鉛筆で彩色されている。絵図の最上段には『下野國安蘇郡出流原磯山
辨財天眞景全圖』とあり、右上には『避暑案内』として、弁財天、弁天池や周辺の紹介があり、
文末には幕末から明治後半まで活躍した元彦根藩家老を務めた岡本黄石が、明治25年に此の道を
訪れた際に書かれたと言われている漢詩が記されている。
復刻された冊子には原本の絵図に書かれた紹介文の現代訳と英文訳が、須藤さんの解説で
添えられている。また大正初期から昭和初期に運行されていたという「赤見軽便鉄道」についても
触れているのが、興味味い。」



「下野國安蘇郡出流原磯山辨財天眞景全圖
磯山弁財天とその周辺の歴史 復刻版 2021 磯山弁財天観光協会作成」
須藤三三夫さんによって水彩色鉛筆で彩色されているのだと。



原版の発行は明治32年。銅版画で印刷されたもので、モノクロ。



「赤見温泉フォトコンテスト2021入賞作品」と。
日本名水100選の弁天池湧水を引くのが「赤見温泉」。
石灰岩に湧く湧水は、炭酸水素カルシウムを含んだ硬水。
温泉法に規定する温泉には該当しないが、人気の名水風呂と。



「赤見温泉『磯山弁財天』の古絵図発見、復刻版発行
興味津々「赤見の話題」
そう、百年前、足利が『足利市』になった時にはあったのだ。『赤見軽便鉄道』が。
『軽便鉄道』とは、我々が知っている鉄道「蒸気機関車」よりも企画が簡便、軌間も狭軌が多く、
建設費や維持費が安く押さえられるため、その多くが限定的な輸送力しか望めない地域に
建設されたようだ。
『赤見軽便鉄道』が開業したのは、1915年(大正4年)4月28日。その目的は出流原(現在の
赤見温泉のある場所)で採掘される石灰を輸送するためのものだったが、旅客も運んだという。
富田駅から終点出流原駅まで全6駅。沿線地域の人に親しまれ利用されたが、1927年(昭和2年)
10月20日に廃線。13年間の営業であったが、毎年の赤字が続いていたそうだ。
さて、そんな『赤見軽便鉄道』だが、現在は、どこにもその線跡が見当たらない。ならば
沿線住民のかすかな記憶をたよりに、起点の富田駅から終点の出流原(現在の赤見温泉)を
目指してみよう。」



『赤見軽便鉄道』の路線。



そして正面に見えて来たのが「磯山弁財天」の見事な朱色の「楼門」。
「千と千尋の神隠し」の中で描かれていた、赤い楼門の雰囲気に似ていることから、参拝に
訪れるファンもいると。
「磯山弁財天」には、五穀豊穣、家内安全、商売繁盛の神様として知られる白蛇様が祀られていた。
ちなみに、「磯山弁財天」と「出流原弁天池」は藤原秀郷(ひでさと)が948年に創設したと
言われているのだ。
手前左手の石仏が迎えてくれた。



脇の参道には金網に保護された石灯籠の姿が。
転倒防止、それとも鳥避けか?(左)



石灯籠(右)。



右手に「磯山弁財天 丁巳本開帳紀念碑」。
「磯山弁財天」は、十二年に一度の巳年に御開帳の年となる。
昭和五十二年(1977年)丁巳には御開帳を記念して社殿拝殿の大改修及び復元がなされた。
最近では平成二十五年(2013年)の巳年に御開帳され、祭典では稚児行列が行われた と。
この石碑は昭和五十二年(1977年)の時に建立したもの。



その先に「磯山地蔵尊」。



花に囲まれて。



「平成元年四月吉日 磯山弁財天本開帳奉賛者」碑。



再び斜めから「楼門」を見上げる。



地蔵尊。



「御巡拝のお客様
納経帳や御朱印はホテル一の館フロントにご用竟してあります」と。



「楼門」を潜り、急な階段を登ってい行った。丘の上にある社殿までは130段と。
ここにも石仏が。



磯山弁財天の「絵馬」であっただろうか。



左手の角塔婆とその先に石の五重塔そしてその先に「本殿」が姿を現した。



佐野七福神の「弁財天」像



お顔をズームして。



「風穴洞」。



「磯山の大蛇
この大蛇は信者の皆様が辨財天に御祈願なされる度に辨天様より御指示を受けて皆様の大願成就
達成の為に活躍する幸福を招く日本一の大蛇です」。



「磯山の大蛇」をズームして。



その奥に「磯山弁財天」の「本殿」が大きく見えて来た。



更に「佐野七福神」の幟の立つ石段を上って行った。




                               ・・・​もどる​・・・


                 ・・・​つづく​・・・










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Last updated  2023.01.06 07:45:17
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