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カテゴリ:JINさんの農園
この日は10月7日(土)、卒業した会社の現役の元部下から、コロナ禍で出来なかった
部内の親睦会を、北品川から出航する屋形船で行うとのことで、参加しないかとメールを 頂いたので”もちろんありがたく参加させてほしい”と返信。 そしてこの日はJR品川駅から京急に乗り換えて隣駅の北品川駅へ向かう。 左から、「ストリングスホテル東京インターコンチネンタル」、「太陽生命品川ビル」、 「品川グランドセントラルタワー」、「NBF品川タワー」と高層オフィスビル群が並ぶ。 その先中央に「キヤノンマーケティングジャパン㈱ 本社」、右に「品川Vタワー」。 「京急本線」の車窓から「山手線」、「京浜東北線」、「上野東京ライン」、「東海道本線」、 「横須賀線」、最奥に「東海道新幹線」の線路を見る。 そして京急「北品川駅」で下車。 「北品川駅」前の「国道15号・第一京浜」沿いにあった「周辺案内地図」。 ズームして。 この日の屋形船は東品川1丁目にある「三河屋」。 「国道15号・第一京浜」に沿って歩道を横浜方面に歩く。 そして直ぐに左折すると、京急の踏切前右側にあったのが「東海道品川宿入り口」碑。 その先に「北品川第1踏切」。 京急上り線の通過を待つ。 左手に「北品川駅」。 そして「清水横丁」を歩き「旧東海道」に突き当たり右折。 「ロイヤルガーデン品川」の角に、道標「土蔵相模跡」があった。 道標「三番 歩行新宿 土蔵相模跡」、「左 品川駅」。 「右 本宿」と。 さらに「旧東海道」を進む。 一階にファミリーマートが入った「ニックハイム北品川」の前に案内板「土蔵相模跡」が あった。 「土蔵相模 土蔵相模は歩行新宿(北品川一丁目)の食売旅籠屋「相模屋」の俗称で、奥座敷が土蔵造りに なっていたことから付けられた名勝である。万延元年(一八六○)大老・井伊直弼を襲撃した 桜田門外の変の水戸浪士たちや、文久二年(一八六二)英国公使館を焼打ちした高杉晋作・ 伊藤俊輔(博文)ら長州藩士の集合場所になるなど、幕末の歴史の舞台となった場所である。 旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会 品川礎会」。 「東海道は海沿いの道、品川宿は海辺の町。この品川宿の東海道は江戸開府より四百年来、 道幅、道筋が変わることなく今日まで維持されており、歴史遺産として貴重だ。 西の御殿山は開発が進み、東の海は理め立てられたが、東海道を中心に路地や横町、寺社が残る このまちは、古き良き宿場町の雰囲気を今に伝えている。」 「東海道に面した土蔵相模入り口周辺(左模型 品川歴史館蔵)。 入り口からは2階建、でも実は3階建の土蔵相模(右模式図」。 「海側の様子は一変したが、陸側、東海道を中心としたまちの形態は、 この400年ほとんど変化していない。」と。 「土蔵相模の座敷をモデルに描かれたち伝えられる浮世絵(上) 左絵:左下に小さく描かれている座敷は土蔵相模の位置とほぼ一致する。 座敷の障子を開ければ目前には白帆の舟が浮かぶ波静かな品川浦、そしてはるか沖合いには 房総半島が望める絶景であった。」 「其紫袖が浦染 相模様源氏製」(初代国貞(三代豊国))。 「名所江戸百景 月の岬」(広重) 描かれた場所は諸説あり、八ツ山からの光景を「相模屋(土蔵相模)」を借りて描いたとする 説があるのだと。 この先「さわやか信用金庫 品川支店」の角を左折。 「八ツ山通り」の先に橋が現れた。 「八ツ山通り」とは、新品川橋から八ツ山方面への道路を呼ぶ。 ここは元々目黒川の河口に続く水路(流路変更後は支流)だったとのこと。 「天王洲運河」に架かる橋を渡る。 左手には「屋形船」の姿が見えた。 「天王洲運河」の先には「北品川一丁目」のマンション群、中央にはV字型の「品川Vタワー」。 橋に名は「北品川橋」。 そして「つり船、屋形舟」の「三河屋」に到着。 「舟宿 三河屋」の文字も。 ・・・つづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.10.19 07:04:01
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