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カテゴリ:JINさんの農園
そして次に訪ねたのが「叶神社(西叶神社)」。
再び海岸沿いを走る県道208号線・「浦賀通り」に出て「一の鳥居」越しに 「叶神社(西叶神社)」の拝殿を望む。 ![]() 「郷社 叶神社」と。 「叶神社」は神奈川県横須賀市浦賀地区にある神社。浦賀港を挟んで2社ある。 勧請した石清水八幡宮と同様、共に、誉田別尊など八幡神を祭神とする。 叶神社:通称「西叶神社」:横須賀市西浦賀1丁目1−13 叶神社:通称「東叶神社」:横須賀市東浦賀2丁目21−25 ![]() 「一の鳥居」を潜り「ニの鳥居」に向かって進む。 ![]() そして再び「浦賀道」まで戻り、「西叶神社」前に。 ![]() 養和元年(1181)神護寺文覚上人が京都、石清水八幡宮より勧請し創建した。 ![]() 「ニの鳥居」の扁額「叶神社(かのうじんじゃ)」。 「叶」は口と十で構成されている。 漢字は本当によく考えて作られていて、口で十回言えば、 願いは叶う、という意味である と。 ![]() 「四月二十ハ日 午後三時 執行 境内社 金刀比羅神社 例祭 当、金刀比羅神社は、享保十一年(西暦一七ニ六年・約ニ百七十年程前)旧西浦賀村住民が浦賀港と 出入る諸船舶の航海安全、海上安全を祈って、おまつりいたしました。 以来、金刀比羅大神は浦賀の港を見守ってまいりました。」![]() 「手水舎」。 ![]() 「漱盤」と刻まれた手水鉢(ちょうずばち)が堂々と。 「漱」とは「うがい水(すすぎ)」を意味し、口をすすぐこと。身を清めること。 「盤」は「たらい」のこと。 浦賀の遊廊の主人で、後に家屋敷や財産すべてを投げ出し、抱えていた遊女を解放し、自らは 出家した江戸屋半五郎(えどやはんごろう)が寛政元年(1789)に寄進したもの と。 ![]() 手水舎には、亀、鳥、龍の刻まれていた。 龍の裏に『彫刻師 熊谷源太郎九代 新井松雲作 新井武作 熊谷市筑波一丁目六十番地』 とあるのだと。 ![]() 「源頼朝が大願成就したパワースポット 叶神社(西) 御祭神 八幡大神 御利益 祈願成就 養和元年(1181)に神護寺(京都・高尾)の文覚上人が石清水八轎宮の八轎大神を勧請し創建された。 文覚上人は源頼朝に平家追討と源氏再興を強く奨め、源氏ゆかりの神社 である石清水八幡宮の神に源氏再興の願いが叶えられた暁には良き場所を求めて未永く お和りすることを誓った。その願いが叶えられたため、文覚は約東通り石清水八幡宮の 神を勧請し、のちに「叶神社」と名付けられるに至った。このような由緒から大願成就を 求めて参詣する人が後を絶たない。現在の社殿は天保13年に再建されたもので、 経費は約三千両ともいわれる。」後藤利兵衛義光による彫刻がふんだんに施された権現造り。本殿と弊殿は総檜造りで、再建の ![]() 「昭和五十ニ年市制施行七十周年記念 横須賀風物百選 西叶神社 叶神社は養和元年(一一八一)文覚上人(もんがくしょうにん)が京都の石清水八幡宮を勧請して 造られました。 平家の横暴ぶりを憤った文覚上人は源頼朝と源氏再興を願い上人自ら治承年間、上総の国の 霊山である鹿野山に参籠し修行を重ね、その本願が叶ったならば神社を建立し末永く祭祀する ことを誓いました。そして養和元年に大願成就の前兆を観じて、勝地を求め各地を遍歴した末に、 鹿野山に相対する浦賀西岸の現在地に、社宇を建立し、文治ニ年(一一八六)源氏再興の大願が 叶ったところから、叶大明神と称するようになりました。 現在の社殿は天保十三年に再建されたもので、本殿、幣殿は総檜造りで、その内部は悉く 彩色され、本殿柱は金箔朱塗り、内部の花鳥草木の彫刻はすべて極彩色となって居り、 扉は黒仕立蝋色塗、内面は金箔押しと云う華麗な装飾がなされている。 拝殿は花烏草木の透し彫リのある格天井となっており七十四面ほどある。社殿四方の周囲の 外部多くにも彫刻が施されている。 これらの優れた彫刻は、当時名工と謳われた彫刻師、後藤利兵衛橘義光の作品である。このように、 当時の最高に近い建築の技術の枠と彫刻の美を備えた社殿造営の工事費は、三千両と云う莫大 な金額であったと云われ現在、叶神社の彫刻は横須賀市市民文化資産に指定されています。 東西叶神社について 元禄五年(一六九ニ)、江戸幕府の行政政策により、浦賀は東西の浦賀村に別けられた。 行政区分の分離は、それなりに各々の村意識を生じさせるのであって、総鎮守は西岸に所在して いたから、長い間、その氏子として、叶神社の神徳を仰ぎ戴いてきたことにより、東岸にも 今まで通り、同じ御神徳をと願う信仰心が、分霊祭祀となった。」 ![]() 「源頼朝ゆかりの願掛けパワースポットMAP」 ![]() MAPをズームして。 ![]() 「・・・」碑。 表面左の半分ほどが剥離?して文字が判読できなかったのであった。 ![]() 「村社 叶神社」碑。 時代により郷社であった時と村社であった時があったのだろう。 ![]() 歴史を感じさせる「銅燈籠」(右)。 石段上り口の天保4年(1833)鋳造・一対の銅製燈籠には、台石に新地町、基礎部分には 江戸屋久三郎・亀屋新吉・玉泉屋佐吉等、浦賀の遊郭連中等の寄進者名が刻まれている。 ![]() 歴史を感じさせる「銅燈籠」(左)。 ![]() 「拝殿」に向かって石段を上って行った。 ![]() 正面に彫刻が見事な「拝殿」。 ![]() 「狛犬」(右)。 ![]() 「狛犬」(左)。 拝殿前に堂々と並ぶ狛犬は、左右とも口を開けているように見えた。 東叶神社の狛犬の口は、いずれも閉じているように見えることから、東西の叶神社で一対と なっているとの説もあると。 ![]() 石段の上に隠れるように。 立ち上がって、柱の陰からこちらを窺うようなそぶりの、かわいい狛犬の姿も。 近づいて。 ![]() こちらにも。 拝殿前から二の鳥居方向を振り返る。 ![]() 「地立碑」。 ![]() 「紀念碑」 ![]() 「相州浦賀町鎮守叶神社は安徳天皇養和元年僧文覺の岩清水八幡宮を勧請して建て奉りたる御社 なり尋いで文覺虚空山感應院を開き真言宗古義派の僧を住職として代代御社の別當たらしめたり 尓来綿綿相傳はりて明治維新に及べり明治の初神佛混淆の禁令出でぬ別當玉應其命を奉じ復飾 して氏を感見と称し名を信明と改めぬ創祀以来代を替ふること七十代年を経ること六百八十八年 なり是に於て感應院の號?は自ら廢れたり信明は通称を真次郎と云ひ足柄下郡下中村字小舟の 人志澤兵右衛門の次子なり年七才にして真言密宗の教に入り法號を玉應と称し苦學勤行年を累ねて 學徳並び称せらるるに至れり資性温厚志操清廉にして信念いと厚く徳望日に加はり初め推されて 平塚驛八幡宮の別當鶴峰山等覺院の住職となれり後老を幽静の境に養ふこと数年をりから感應院 住職の缺くるに際し里人景慕の心を致して止まずよりて遂に状に應じて文久元年其第七十代の別當 となりぬかくて幾干もなく彼の復飾改名等の事ありて神職に補せられければ悠悠世を送りて命を 楽しみ明治二年十月十一日溘焉として永眠せり享年六十有三感應院の塋域に葬りぬ終身娶らず 浦賀町字川間長島市郎右衛門の長子宗之助を養ひて嗣とせり宗之助其後を承けて神社に仕え明治 八年十月初めて祠掌に補せられて今に至れり客歳勅令を以て幣饌供進の制定まるや御社も亦其 榮典に與り神徳愈髙く我が感見家の基礎も亦漸く定まりぬ思ふに彼の神佛混淆の禁令は創祀以来 未曾有の變革にして其間に處せし真明の勞は大方の事にはあらざりけんかし己れ宗之助不肖の身 ながらも其後を受けて職を過たず幸ひ今日に到れるものは元より大神の御恩頼にはあれど一には 信明の餘光にぞあるべきここに其事どもを永く忘れじ後の世にも朽ちせじと兴?碑を立ててかくは しるしぬ 明治四拾壹年拾月弐拾壹日 鎮守叶神社第七十一代社掌」 ![]() 「拝殿」の唐破風を見上げて。 ![]() 見事な拝殿の彫刻。 社は、天保13年(1842)に建造されたもので、社殿を取り巻く総数230を超える彫刻は 安房の彫刻師「後藤利兵衛」の作品とのこと。 利兵衛は文化12年(1815)安房国千倉の生まれで、江戸の後藤三次郎の門に学び、神社社殿の 彫刻や山車、みこしを多く手掛けた。 拝殿の格天井(ごうてんじょう)の花鳥の彫刻には、当時の日本には渡来していないとされる 花や鳥も彫られているのだと。 ![]() 中央をズームして。 ![]() 右側をズームして。 ![]() 左側をズームして。 ![]() 拝殿の格天井を見上げて。 ![]() 移動して。 横に廻り込んで。 ![]() 「横須賀市指定市民文化資産 西叶神社社殿彫刻 現在の社殿が天保十三年(一ハ四ニ)に再建された時に施された彫刻で、虹梁、欄間、 拝殿天井など総数ニ百三十を超す。作者は安房国の影工、後藤利兵衛である。」 ![]() 扁額「叶大明神」。 ![]() 内陣をネットから。 ![]() 絵馬掛け所。 ![]() 「叶」と。 ![]() 「昭洞香山君碑」 ![]() 「昭洞香山君碑 昭洞香山栄左衛門永孝👈️リンク は嘉永六年六月三日アメリカ水師提督ぺリーが浦賀に来航の折、 浦賀奉行所の与力で、奉行の代理として同与カ中島三郎助と共に米艦に赴き、応待・談判に 当った人である。 香山栄左衛門の子息・香山永隆が父をたたえて、明治十三年ニ月建立。 香山栄左衛門が家運隆昌を祈念して額縁第入大型絵馬を当社拝殿内に奉納されたものが 現存している。 絵馬の裏面に姓名・家運隆昌が書かれている。」 ![]() 「江戸 藤堂良道謹撰并書」碑。 ![]() 近づいて。 「江戸 藤堂良道謹撰并書 東西浦賀 ・・・・・・・・・ 文政八年歳在乙酉九月朢日」 ![]() 拝殿を斜めから。 ![]() 本殿を見る。 ![]() 本殿にも見事な彫刻が。 ![]() 立派な「社務所」を見下ろす。 ![]() ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024.05.01 19:24:55
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