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JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.05.21
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カテゴリ:JINさんの農園
そして次に訪ねたのが「若宮神社」。
石鳥居の前には大きな井戸?非常水槽があった。
横須賀市久比里1丁目4−11。



1531年(享録4年)、臼井惣左衛門が鎌倉の鶴岡若宮明神を奉戴して建立した。
祭神は仁徳天皇。1983年(昭和58年)社殿は焼失し、1985年(昭和60年)新築されている。
社殿の左側に、古い鳥居の一部や額が保存されている。境内にある石碑には神社の縁起について
書かれており、その台座は日露戦争の際、旅順口閉塞船の弥彦丸に使用されたとされる。
正面に石製の一の鳥居



扁額「若宮神社」。



社号標石「若宮神社」と朱色で。



一対の「御神燈」。

<

境内の巨大な御神木・銀杏。緑の新葉が美しく。



右側には石碑が2基。



御社殿再建記念
昭和五十八年五月二十日の深夜 先人達が永年蓄財して建立した総欅造りの御神殿を不審火により
消失しました。火中御神体を救出して 西叶神社に無事遷し奉りました これを励みとした氏子
並びに崇敬者の早期再建の願いに応えて 町内外の有志 七百余名の浄財と神具備品及び
屋根銅板の奉納を受けて 昭和六十年六月竣工七月六日遷座 翌七日神社本庁より献幣使が参向し
竣工奉祝大祭を斎行しました 僅か二年の短期間で再建が叶ったことは 当神社の御神威と
崇敬〇〇〇の総力の賜ものです。
神輿二基及び参道などの工事を実施し 更に篤志の方々より鳥居二基の奉納を受けて再建事業を
完了し茲に碑を建て記念します。
昭和六十二年一月吉日  
                 若宮神社  宮司感見武
                       再建委員会  藤田○書」



記念 社殿改築
鎮守若宮神社御祭神は、仁徳天皇に座します 
享楽四年千葉之介常胤の後裔臼井宗左衛門尉なるもの、鎌倉より源家の旧縁により、
鶴岡若宮明神を奉載してこの地に移住し当社を建立以て氏神となし崇敬奉祀す。
爾来、氏子の崇敬益々厚く常に社宇の廃頽を憂い、之が改築を成し、現に慶長十六年及
寛永六年正保二年の御造営の棟札をするす。殊に一回社殿は明和七年の建造に係り、
その荒廃甚だしく、氏子一同之を恐耀し大正四年村社に列格の際、改築の議起こり、
爾来資金を蓄積し、今日に至り、機漸く熟し、茲に全く社殿の改築とともに境内整理の
完成を告ぐ。依て之を永遠不朽に傳へんとて此の碑を建つ。
   昭和十年八月  社掌 感見彦治謹誌」



この記念碑の台座は、日露戦争の旅順閉塞隊に参加した弥彦丸に積まれていた花崗岩。
日露戦争後に、旅順港口を復旧させるために、閉塞船として擱座していた弥彦丸を
旅順港口から撤去し、浦賀船渠の川間分工場で解体した際、その船底から取り出したものと。



この台石は浦賀工場の寄贈にして日露戰役の際 旅順口閉塞船弥彦丸に使用せしものなり」。



左手にあったのが「神輿殿」。



内部には大きな「​神輿👈️リンク が鎮座。



右にはやや小さい神輿。



神輿パレードの際の「若宮神社」の神輿の写真をネットから。



手水舎

背後には自治会の施設か?



石段の上には二の鳥居、さらに石段の先に拝殿。



二の鳥居。



狛犬(右)。



廻り込んで。



狛犬(左)。



廻り込んで。



石段の上に拝殿。



鳥居の柱の一部と割れ目の判る扁額。



「宝暦七年三月に建立されたこの鳥居は二百三十年の歳月で風化し且つ柱が折損して崩壊の
虞れがあったので御社殿再建を記念しこれを建て替えて旧社号額および柱の一部を此処に移し
保存します。
昭和六十一年十月吉日
     鳥居奉納者一同」



先代の扁額「若宮神社」。



拝殿の左側にあったこの建物は蔵であっただろうか??



拝殿に近づいて。



拝殿の折れ戸(折戸)は開いていた。



拝殿の扁額も「若宮神社」。



内陣。
祭神
 仁徳天皇 ( にんとくてんのう )
 天照大神 ( あまてらすおおみかみ )
 大物主命 ( おおものぬしのみこと )
創建
 1531年(享録4年)
例祭
 7/24,25



ズームして。



拝殿の右手にあった境内社の「八雲神社」



扁額「八雲神社」。



社殿。



砲弾。
若宮神社の境内社、八雲神社の社殿横に鎮座している。
柵石に、「征露紀念」と「明治三十九年二月 氏子中」と刻まれていることから、日露戦争の
勝利を記念して明治39年2月に氏子によって建立されたものであろう。
砲弾の高さは役80cm、直径は28cmである。台座は、レンガ造モルタル張りである。
調査当時は、碑は傾き、周辺も荒廃した状態であったが、最近きちんと整備された。
なお、境内には、他にも旅順港口閉塞船に積まれていた石が記念碑の台座に使われている と。



右側には多くの石祠が並んでいた。



正面から。



狐様の姿も。
いろいろな場所から集められたものか?



「若宮神社」の「本殿」を横から。



春日造の本殿。
春日大社に代表される春日造は、出雲大社に代表される大社造と同様に、切妻造・妻入ですが、
屋根が曲線を描いて反り、正面に片流れの庇(向拝)を付しているのが特徴。



再び御神木の大銀杏とその陰。



                                 ・・・もどる・・・



                   ・・・つづく・・・










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Last updated  2024.05.21 00:00:28
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