今年も、小出川彼岸花を愛でる(その2)
車で、「小出橋」を左に見ながら、県道「大庭獺郷線(おおばおそごうせん)」に出て「新道橋」付近に移動し一時停車。獺郷という地名は、昔ところどころに沼地があり、獺(かわうそ)が多く生息していたといわれ獺の郷から村名になったと言われている。水田の下には湿地帯に生える葦の葉の地層が残っていると言われている。この道はまつりの『せりざわ会場』があった県立茅ヶ崎里山公園に行く道。「しんみちはし」。川の「橋」の読みは、川が濁らないようにと、「ばし」ではなく濁点をつけずに「はし」と読む場合が多いのである。「小出川 彼岸花小出川沿いの彼岸花(曼珠沙華)は、上流の里山などから大水により球根が流れ込み、古くからこの地域に自生していました。平成1 5年頃から流域の彼岸花保護団体が相次いで組織され、増殖・保全活動に努めています。開花期( 9月下旬頃)には、上流の大黒橋から下流の追出橋まで両岸3kmが紅の帯に染まり、西方に望む富士や箱根連山を借景に、絶好の散策コースになっています。毎年、この時期に「小出川彼岸花まつり」を開催し、来場者を歓迎しています。 ・神奈川県藤沢土木事務所・藤沢市・茅ヶ崎市・寒川町 ・小出川彼岸花団体協議会・設置者:打戻彼岸花の会」付近のご案内として、「宇都母知神社」👈リンク雄略天皇の時代(466年)厳粛な祭祀が執り行われたと「日本総風土記」に記されている延喜式内社。境内に「民具・農機具資料館」(祭礼時等に開放)がある。(これより北東方向1.5キロ)と「盛岩寺薬師堂昭和文化館」👈リンクも。盛岩寺の薬師堂は、築90余年の旧商家を再移築した古建築で、昭和文化館として活動をしている。堂内の薬師三尊十二神将は、旧東光寺の本尊で、(明治4年廃寺 盛岩寺に移管)、「堂の前」の名はこれに由来する。(これより北西方向0.5キロ)「小出川」を見る。この辺りは例年より花の数は少なかった。ここにも仮設用単管パイプに取り付けた横断幕「小出川彼岸花」が。下流側近くには僅かに花が。しかしその先に赤の塊が見えた。まずは上流に向かって歩く。今年は雑草が生い茂り、この場所は終章・エピローグへと。まだ蕾の場所もあったのだが。朝の陽光に輝いて。彼岸花はまっすぐな茎の上に花だけをつける。葉は花が散って後にゆっくり生まれ出る。韓国名はロマンチック。「サンシチヨ」と言い「想思華」と書く。1本の茎を共有しながら花と葉は決して出会うことはない。花は葉を想い、葉は花を思い焦がれているから「想思華」と。彼岸花は冬から春にはちゃんと葉が繁り、花をつけない寒い季節にしっかり栄養を球根に貯えているのだと。多くの植物は春に芽を出し、夏に葉を繁らせ秋に枯れますが、彼岸花はその逆。冬に葉を繁らせ春に枯れ、秋に花を咲かせるのだと。この花は?ピンクノウゼンカズラ?稲栽培の水田は、収穫時期が間近に。稲穂の重みに耐えかねてか?この稲田は大きく波打っていた。ここも独り占めして。彼岸花の色別の花言葉を調べてみました。「☆白色:思うはあなた一人/また会う日を楽しみに★赤色:情熱/独立/再開/あきらめ/悲しい思い出/思うはあなた一人/また会う日を 楽しみに★黄色:追想/深い思いやりの心/悲しい思い出 彼岸花は、その印象的な赤い花色から「情熱」「思うのはあなた一人」といった花言葉が生まれたといわれています。しかし、彼岸花の花は死や不吉なイメージの方が強いですよね。それは、「彼岸花を家に持ち帰ると火事になる」「彼岸花を摘むと死人がでる」「彼岸花を摘むと手が腐る」といったいくつかの恐ろしい迷信があるためです。これらは、花色や花姿が炎を連想させることと、彼岸花のもつ毒によるものとされています。決して怖い花言葉をもっているわけではないのですが、死や不吉な印象があることから贈り物として用いられることはほとんどありません。」と。小出川の紅い帯が輝く。設定を変えて撮影してみました。一般的に呼ばれている「彼岸花(ヒガンバナ)」は、秋の彼岸の頃に開花することにちなんだ名前。毒のあるこの植物を食べた後には「彼岸」=「あの世(死)」しかない、ということに由来するという説もあるようだが。自撮りを。所々に、花が絡み合って密の場所もあった。花茎の先に強く反り返った鮮やかな赤い花を咲かせていた。花は高さ30~50㎝程度の花茎の先に、強く反り返った6枚の花被片(花びら)を持った鮮やかな紅色の花が5~7個程度付き、やや扁平な球状の花序となっている。その色といい、形といい、華やかさと妖気を合わせ持った、きわめて個性的な花では。花は9月末ごろには終わりますが、その後、結実することなく、花茎は萎れて枯れてしまいます。日本国内に生育する本種は、染色体数がほぼ全て3倍体(2n=33)👈リンクであるため、結実しないとされているとのこと。最初のたったひとつの不稔(ふねん)の個体から分球(ぶんきゅう)をくりかえすことで殖えてきたとしか考えようがないのであると。このことを初めて指摘したのは、現在NHKの朝ドラで放送中の牧野富太郎博士であったと(明治40年)。彼岸花は中国揚子江沿岸が原産の帰化植物であると。しかし、いつ頃、どのような経緯で我が国に入ってきたのかは諸説あり、よくわかっていないと。燃えているように見えるので「火事花」とも。5年前に訪ねた埼玉県日高市「巾着田」👈リンク、埼玉県幸手市「権現堂堤」👈リンクの見事な彼岸花を想い出したのであった。別の場所でも自撮り、ズームして。「新道橋」まで戻る。遠くには箱根・二子山が見えた。箱根火山のカルデラ内の南東側に位置し、約5,000年前の噴火で形成された溶岩ドームである。箱根駒ヶ岳、神山、台ヶ岳などとともに中央火口丘を構成する。その名のとおり、双生児のように二つの峰が並んでおり、北(右)側が上二子山1,099m高、南(左)側が下二子山1,065m高となる。花からは6本の雄しべと1本の雌しべがまるで装飾のように上方に長く突き出しているのであった。「彼岸花」を楽しむ?「アオサギ」の姿を発見。全長90cm以上。体の上面、翼の上面はうすく黒味のある灰色で、翼の風切羽は青色がかった黒色。鳥害防止用爆音機に驚いて、突然飛び立った「アオサギ」を追う。風切羽と肩の灰色の対照がはっきりしていた。羽の下面は真っ白であることを初めて知る。日本で繁殖するサギの仲間としては最大のようだ。背が高く、脚も長い。飛行姿は長い首をZ字型に曲げ、後方へ脚を伸ばし、大きな翼をゆっくりはばたいて飛んで行ったのであった。「新道橋」からさらに下流に向かって進むと見事な富士山の姿が。この日の富士山には、裾野に横にたなびく「かいまき笠雲」がかかっていた。富士山が雲の浮き輪をしているかの如くに。ズームして。この場所からの日の入りダイヤモンド富士の撮影を来年は是非!!デジカメではなかなか・・・。そして群生場所が現れた。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・SIMフリー iPhone 15 Pro Max 512GB 白 5G デュアルSIM 香港版 MU2U3ZA/A 新品 スマホ 本体 1年保証